王朝のゆくえ
  ‘大航海時代Online’の拡張版‘Cruz del Sur’の第2章が幕を開けました。今回はその周辺で空想にうつつを抜かしてみます。
  世界周航路開通等のあった第1章がゲームに地理的な広がりを加えたとすれば、第2章‘Special Ornaments’はペットやアパルタメントの用途増など選択肢の厚みを充実させる拡張とまずは言えそうですね。

▼‘日本実装’と‘Special Ornaments’
  少し突飛な小見出しですが、‘日本はいつ実装されるのか’というこのゲームのプレイヤーなら誰しも抱いたことのあるだろう疑問と今回のアップデートとの間には、けっこう深いつながりがあるように思えます。

  というのも思うに現時点では、多くのプレイヤーがこのゲームに対し新たな要素の漸次的な投入を前提としてプレイを続けているからです。極端な例を挙げますがオセロや将棋、ルービックキューブやテトリスが好きで、そこに新要素の追加を望むひとは少ないでしょう。つまり遊びの道具として、多くのひとが恒常的に楽しめる内容に‘大航海時代Online’はまだなっていない。
  MMO(大規模ネットワークゲーム)とはそういうものというクリシェを脇に措けば≪※下記注≫、‘大航海時代Online’の場合このまま日本実装を迎えてしまうことは、ゲーム内世界の不可逆的な衰退の起点を自ら作ることになりかねない。なぜなら他のMMOと異なりこのゲームは実世界を一応のモデルとするため、現状では紛れもなく拡張時の最大の売りの1つであるゲーム内世界の‘地理的な拡張’が、日本実装時にはほぼ限界となってしまうからです。あとには極地航路の開通くらいしか残りません。
  よって‘地理的な拡張’を終えることがユーザーのプレイ動機に与える影響は小さいと運営側が判断できるほどにゲーム内容の充実もしくは地理的な側面以外での拡張方針の確立がない限り、‘日本実装’はない、というのがわたしの見方です。

  そしてこの‘地理的な側面以外での拡張’という点で、これまでとは若干色合いの異なって見える今回のアップデート‘Special Ornaments’のような方向性は重要になってくるのですね。しかしこの内容を第1章にもってくるのでは拡張版の売れ行きに響きかねないし、同様に第3章に置くと尻すぼみ感を生みかねません。師走の空気とクリスマスの気分が街にも溢れるこの時期に第2章として行ってしまうのが、長期的にも意義が大きいとすればその理由はこのあたりにありそうです。直近の4Gamersでの開発者インタビューなどで第3章の比較的早い実装がほのめかされているのも私見で言えばこのためということに。

  日本に限らず新海域の実装時期は‘大航海時代Online’における最大の謎としたい開発サイドの意向が公式HPにて示されていますが、シナリオとしては描いていても具体的な時期確定はいまだできていないのが真相のような気もします。とくに‘日本実装’については、わたしと似たような推測を抱いているユーザーも少なくないのではないでしょうか。
  ただこういうことを考えたときに毎度気になるのは、打ち出される運営方針に内向きの姿勢をつねに感じることなんですよね。以前にも書きましたが、いま想定されるパイのなかでどう魅力を付加するかに神経を払っているのは分かるのだけれど、パイそのものを広げる努力をゲーム内容の拡張から感じることはあまりありません。この面では売りかたがより重要なのも確かですが、内容が伴わなければプレイヤーとして定着しませんから結局は中身ありきなんですよね。もちろん現状維持で自足できるならそれも良いのですが、ともあれ‘日本実装’が‘終わりの始まり’にならない道を歩んでほしいと願います。

※注:MMOを巡る一般論に広げることが文脈的に意味を持たない、の意。先月末の海外接続アカウント取り消し騒ぎでも見られた傾向だが、一見視野を広くとるかのような正論が陥りがちなフレームアウトゆえの議論の抽象化とも。

▼‘オスマントルコ実装’と‘アユタヤの謎’
  ‘Cruz del Sur’実装を機に更新された公式HPや4Gamersの開発者インタビューなどで、プレイ可能な国籍としてのオスマントルコ追加に関する言及をしばしば目にしたことも意外でした。わたし自身かつてオスマン帝国が実装された場合の仕様などを妄想もしましたしこの話は大歓迎なのですが、具体的な検討に入ったかのような言葉がこのタイミングで出てくるのは予想外だったのですね。[オスマン関連記事は下記URL↓]

    麾下の破軍 http://diarynote.jp/d/75061/20070209.html

  東アジアと南北アメリカの沿岸以外は一応の実装が済んだ現在にあっても、領地港がありながらプレイヤーが本拠地に選べないなど、‘大航海時代Online’におけるオスマントルコの扱いは特別です。史実のこの時代において独立した交易国は他にも多々あったにも関わらず、オスマントルコのみがそうした‘格’を与えられた理由の第一としては、大航海時代を通じて西欧列強以外で影響力の大きな特定の港を維持し続けたのが近隣ではほぼオスマントルコだけということが考えられます。それはまたインドに覇したムガール帝国やヴェネツィアと競った商都市国家ジェノヴァ、アシャンティやインカアステカ、明清など各大陸の雄のいずれもが為しえなかったことでした。
  それに対してオスマントルコはコロンブスによる新大陸‘発見’の40年前に陥落させたコンスタンティノープルをイスタンブールとして以降、よく知られているように20世紀の無血革命に至るまでの実に500年ものあいだ、まったき帝都として存続させました。大航海時代に端を発した植民地政策を推進する西欧の列強諸国にとって、オスマン帝国はそうして征服の叶わぬ最大の対抗者であり続けたわけですから、‘大航海時代Online’においてこの国籍をプレイできるようになる可能性が、多くのプレイヤーにとり魅惑的に映るのも当然と言ってよいでしょう。

  ただ、このように大航海時代の数百年間に自国の独立と領地港の維持を全うした国というのは、他にも少なからずあるのですね。アユタヤ王朝や日本(主に徳川幕府)などはその代表的なものといって良いでしょう。アユタヤ王朝は結果的に列強間の対立を巧妙に利用する形で生存を貫きましたし、戦国時代に急進的な発達を遂げた日本の軍事動員力は現実的にこの時期の列強が手に負えるものではなかったことも近年の研究で確認されています。こうした東アジア海域での独立国との衝突による戦艦の喪失がアルマダの海戦を戦った英西どちらの陣容にも少なくない影響を与えた事例などを考え併せても、‘大航海時代Online’の今後を占う上で彼らは決して無視できない要素だと言えそうです。
  とりわけアユタヤ王朝の存在は、すでに現時点における‘大航海時代Online’の交易港の分布にも決定的な影響を与えたとわたしは考えています。端的に言えば交易港ロッブリーの扱いがそれに当たります。東南アジアの実装前、わたしはこの場所に新港アユタヤが実装されると予想していました。[新港予想記事は下記URL↓]

    鈍の月映え http://diarynote.jp/d/75061/20070228.html

  けれども現に実装されたのはロッブリーだったわけです。この都、列強の戦略的な支援によりアユタヤの副都として建てられた経緯があるのですが、本来はシャム湾の最奥、チャオプラヤ川を遡った現バンコクの北に位置するアユタヤよりもさらに北方にあるのですね。そして首都はあくまでアユタヤであり続けたことを考えると、アユタヤではなくロッブリーが実装された理由もおぼろげに見えてくる気がします。つまり、西洋列強の国旗がひるがえる港としてアユタヤを実装することはさすがにできない、という開発側の決断をそこに見るわけです。

  そしてこの原理を起点にさらなる深読みを重ねれば、2つの妄想が可能となります。1つはアユタヤがいずれ別の形で実装されるかも、という妄想。たとえばテノチティトランのような独立した街として。現代でも有名な観光地となっているように、ヴィジュアル的に非常に映えるこの街を看過しておくのはもったいないというだけの理由ですが。
  残る1つは、もしオスマントルコがプレイ可能になる日が来るならば、同じ理屈で日本がプレイ可能な国となる道筋ができるかも、という妄想。ただし上述のごとく日本の実装は現状ないというのが私的結論になるため、これはもうかなり別世界の話になりますけれど。(笑)

▽画像とおまけ
  今回はアップデート各要素への言及の代わりに、一見無関係に思える2要素を結びつけて考えるという試みをしてみましたが、きっと誰の目にも強引に映ったと思います。ただ同時に‘if-もしも’はコーエーが長年お家芸にしてきた手法ですから、こういう方向性もありかなとも思います。画像はわたしのペット‘もっち’です、以後よろしゅう。以下おまけ。

   やっちゃった! http://popoloerrante.blog26.fc2.com/blog-entry-391.html

現在開催中の公式イベント“聖ニコラウス祭”での粗相(?)についてのルクレ嬢によるツッコミです。実はこのイベント、わたしも公式HPでの告知文中に「…アムステルダムには従者を伴った司教様が訪れ、神々の教えを説いたり、子供たちにお菓子を配ったりと…」という記述を見つけ、あれまあと思っていたんですね。この時代のアムステルダムには東洋人の居住区もあったようだし神々を崇める人物がいるのはいいのですが、司教がそれを説いたら命の保証はないでしょう。

もちろんカトリックではあり得ない文言が意図的に盛り込まれたと考えられなくはありません。ですがこれらが運営方針とは無縁の単なるテキスト上のミステイクだとすれば、冒険クエストにもよくある微妙な言及ともども、そこらへんの22-3歳の大学院生を雇ってチェックを入れさせれば簡単に直せることのはずなんですよね。優秀な学生ほど他人の論文の手直しやら文字起こしやら翻訳やらを無給薄給で日々こなしていますから、常人には信じがたい量と質を一人で達成してしまえます。ユーザーの民度をアンケートや公式掲示板から測る限りはそんな必要を感じることも皆無なのかもしれません。しかしもの言わぬユーザーこそが最大多派なのもまた確かです。これは‘パイそのものを広げる努力’(上述)にも重なるのですが、大人向けのゲームとして裾野を広げる気があるのなら、こうしたあたりに注意を払うのは意外に効く気がするのです。

 
 

コメント

ジュロー
ジュロー
2007年12月16日15:34

そもそもプロテスタントの勢力が強いネーデルランド北部州にカトリックの司教を登場させることにも疑問が沸いてきますが・・・。
たぶんこの司教はお説の通りカトリックぽくないので「子供も楽しそうだし、まぁほっとくか」と許容されたのでしょうw
大海戦でイスパとネデが組めなくしたことを肥氏は忘れているようです。

goodbye
goodbye
2007年12月16日20:10

> ジュローさん:

いや、というよりもそうした考証性を重視するか否かの選択がここでは肝だったんですが。

でもまぁせっかくなのでジュローさんの視座に沿って書くと、宗教戦争のイメージで言うと確かにそうなるのかもしれませんが、両派は対等に領土争いを繰り広げたのではなく今で言えば国家vsテロリズムのような非対称の対立軸をもっていたため、アムステルダムに教区をもつ司教のほうが他より活動的だったという事例は十分あり得ます。またその種の排他性を恒常的には発揮せずにいる合理精神がこの街の世界史的な海運都市としての発展には不可欠の要素だったはずなので、その面でもカトリックの司教が公然と説教できた時期はこの時代においても比較的長くあっただろうと思います。(今回のイベント設定を担当したかたにとってこれらがどうでもいいことなのは、登場するテキストからも明らかですが)

この時期の欧州における宗教対立というと魔女狩りや宗教裁判など血の臭いばかりが先行しがちですが、それらが社会構造的に内実をもつためには、平常時には対立する両者が比較的穏和に並存できる余地のあったことが必要条件になるはずなんですよね。歴史教科書はしばしば政争の具に使用されてしまいますが、このあたりの原理を教える姿勢が皆無なことのほうが個人的には不思議で仕方がありません。

nophoto
ルクレなんとか
2007年12月17日11:13

このゲームが好きだからこそ、文句を言う
好きだからこそ、面白いゲームであり続けて欲しい
もっとも運営会社のほうがそれに耳を貸すつもりがあるのかどうかは疑問ですが。

まぁ、カトリックの司教云々は、イスパニア本国による低地諸国再占領プログラムの一環と思えば、理解できないこともないか。熱狂的なカトリックの西・仏両国、これから宗教的狂騒の波がわき起こる独。もっとも、教皇お膝元のローマにはユダヤ人もいたし、ヴェネツィアも商業国家らしく異教徒もおり、オランダは両派が入り乱れ・・・まぁ、そんな今後に期待ですな。

最近思うのは、このDOLの歴史は現在の私たちの歴史にはつながっていないんじゃないかということ。16.7世紀にクリッパーが登場とか考えると20世紀になる頃には火星当たりまでいけてるかもねw
だとしたら、現実っぽい発見物だけではなく、もっと眉唾チックなモノがあったら面白いのにとか思います。

goodbye
goodbye
2007年12月17日20:14

大航海関連ぷち情報:

BS朝日 BBC地球伝説 
12月17日(月)―12月21日(金) 毎夜20:00-20:55放送
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/index.html

初日の今夜が『新・海底2万マイル 失われた艦隊』で、以降
海賊黒ひげの罠、クロムウェルの砲艦、パンドラ号絶体絶命、潜水艦M1号の謎
と続きます。このシリーズは告知文から受ける印象以上に内容の質がいつも高いです。

goodbye
goodbye
2007年12月17日21:59

> ルクレ妃殿下:
どこまで厳密にやるかという意味では、各時代のハイライトとなるような要素を、ゲーム的に不自然さをできる限り減じた形でどう並存させるのかというあたりに神経が払われているのは確かですよね。その点では、現代へと連なる史実に重ねて考えることはできないんだろうというのも同感です。

ただそれとこのおまけ項目で扱っている‘おかしな表現’とはまた少し次元が違うんですよね。何と言うか、ゲーム的な設定上の問題から敢えて濁す部分や曖昧にする部分はいくらあってもいいのだけど、ちょっとした言い回しにまで不可解なセンスを感じさせる必要はまったくないだろうと思うんです。(笑)

たとえば港の名前が場合によって現地音基準だったり英語読みだったり日本での慣用基準だったりするのはいいんです、でも街の名前が「ヴェネツィア」なのに船の名前は「ヴェネチアンガレアス」のまま放っておける感覚ってカッコ悪くない? みたいなことと同類に感じたわけです、どちらかと言えば。ともあれこの記事の本題は日本とかアユタヤとかオスマンにまつわる夢想妄想だったのだけど、そっちへのツッコミが来ないなぁw

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