ぼんやりとした良さの意味2009年6月13日 常在戦場 コメント (1)

ぼんやりとした良さの意味
ぼんやりとした良さの意味
  今年4回目の課金中です。とはいえ諸事情により、海に出て活動するのは週1,2回くらい。

▼アズレージョ紋様のゲーム内的価値について
  現在開催中のLiveイベント“オポルト漁師まつり ~Festival de Pescador~”、もはや新規の試みには付き物の運営サイドによる読み違えもありましたが、それなりに楽しめているひとは多いようですね。今回はこのイベントを巡って書こうと思い立ちました。まず取り上げたいのは公式HP内イベントページの意匠について。
  
   公式HP: http://www.gamecity.ne.jp/dol/live_event/090602.htm

  ‘大航海時代Online’のゲーム内では、地理歴史や異国文化にとても精通しているプレイヤーによく出会います。上記イベント告知の見出しやアイコンに使われている意匠をみて‘おっ!’と思っただろうそうした方々には言わずもがなの話になりますが、これ、イベントの舞台であるポルトガルの文化史を語るうえでは外すことのできない“アズレージョ”技法に典型的な文様なんですね。[右上画像]

  もちろんアイコンや背景を言及内容に関連させてデザインするというのはウェブ一般においてよくある話だし、‘大航海時代Online’の過去のイベントでも例えばヴァレンタインのときは薔薇やハートマーク、ハロウィンであればかぼちゃのアイコンが登場するといった工夫はありました。しかし今回の場合、‘魚’や‘釣り具’のアイコンではなくアズレージョ模様が採用されているところに新鮮さがあります。この発想はアイコンに各国の紋章等を採用するのともまた違ったセンスの存在を窺わせ、大袈裟な言い方をすれば個人的にイベント内容よりもこのデザインを目にして、‘このゲームまだまだ行けそうかも’と可能性を感じました。

▼エラーの真髄
  わたしは昨今の運営サイドが見せる全体的なスタンスに対してはかなり不可解な思いを抱くようになったプレイヤーの一人なのですが、その不可解さを根拠にイベントの不備を具体的に並べたてるのは今さら不毛なので省略します。運営にユーザー側の不満を吸い上げる機構が働いているとすれば、今回の失策に伴う批判の声も未来の類似イベントにおける改善の素材としていずれは消費されてゆくことでしょう。

  ただ‘PS3で始めた初心者も主体となって楽しめるイベント’という企図が前面に出過ぎ、普段はプレイスタイルが異なるため一緒に遊べない商会員やフレと一緒にできるイベントが何であれ欲しい、指示通りに移動して周るお使いクエストではなくできれば戦闘も絡まず他プレイヤーと協働する時限的なイベントがしたい、などといった既存プレイヤーの幾らかが日々蓄積しているだろう潜在的な需要の総量を読み違えていたとすれば、そこは大いに熟考されて良いことだろうと思います。また運営サイドが、プレイヤー側から‘そのように見える’素振りを毎度繰り返していることの意図がいまだわかりません。(言うまでもなく私見です。)

▼ぼんやりとした良さの意味
  現在の運営スタンスへの疑問とは対照的に、ゲーム内では今でも時折、‘この設定はすごいな’と感心させられる場面があります。それはインド圏の交易所主人の脇に置かれたさりげない道具であったり、東南アジアのNPCが発するちょっとしたひとことや、洋上グラフィックにおけるジェロニモス修道院のかわいさ(リスボン港を表すデフォルメされた教会の3Dグラフィックです)であったりするのだけれど、わたしのようにわざわざ意識化/言語化させずとも、それらを‘大航海時代Online’がもつ魅力の重要な要素として楽しんでいるプレイヤーはきっと多いはずです。

  これらが、例えばゲーム内に登場する各文化の多彩な衣装などのように、誰から見てもこのゲームの“売り”として明確に認識されうる要素では必ずしもない、というところがこの文脈ではポイントです。こうしたあたりを以下長々と書き連ねるのも疲れるので、類似言及のある叔父貴のブログ記事を紹介してそれに代えます。目線としてはもっとマニアックになりますが。

   浮上する天蓋: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-48.html

  言い方を真似れば、今回の“オポルト漁師まつり”についてのブログをしばらく見てまわった限りではアズレージョへの言及は見当たらなかったけれど、この点を巡ってユーザーサイドからの明記された評価が存在するのは大事だろうと思ったので、ひさびさに更新してみました、という感じになるでしょうか。そのアイコンの向こう側に連綿と続いてきたリアルの歴史文化の香りを漂わせることができるのは、‘大航海時代Online’が他のネットゲームに対してもつ強力な武器の一つなんですよね。仮に公式HPのデザイナーにとっては些細な思いつきに過ぎないとしても、そこがただのハート型アイコンとは自ずと違ってくるわけです。

▼おまけ
  画像は一つ目がアズレージョ紋様のアイコン、二つ目が知り合いの体験版プレイヤーのかたへの街頭インタヴュー。一行目はわたしの発言です。参考までにwikipedia内アズレージョ紋様の解説ページを↓ やけに詳しいです。[要コピペ]

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7

  コメントが付いてないのにコメント数だけ伸びる現象、何かと思ったらDiary Note全般に起きているようですね。すぐに修正されないところがいかにもDiary Noteらしくて素敵です。最近はネタも下書きもあるのに、なかなか記事更新までやり切る余裕が生まれません。こうしてボツになったテキストが過去大量にあるのはさても恐ろしきことなりけり。

新月旗の心地2009年3月26日 常在戦場 コメント (7)

新月旗の心地
新月旗の心地
新月旗の心地
▼新居イスタンブール
  オスマン帝国へ移籍してひと月がすでに経ちました。思っていたより悪くない、というのが現在の印象です。今回は個人の視点から、移籍初月の感想をまとめてみます。

【デメリット】  まず実装前から予想されていたデメリットについて

・首都の場所: これまで共有倉庫も商館の出し入れもセビリアだったので、アパルタメントだけが遥かイスタンブールに移転したのはやはり手間ですね。そもそもあまり戻らないので普段は良いのだけど、大海戦時は携行物を大量に入れ替えるのでセビリア―イスタン間の移動もしくは回航費用が単純にコストとして増えました。

・入港賄賂: 基本的に賞金首の状態は今後も継続しそうなので、欧州各国の本拠地と開拓地への入港時には賄賂支払いがデフォルトになりました。これがキツければ商会移籍も検討する気だったのですが、このひと月の間セビリアに戻るたび商館の売上がだいたい10M入ったため、出向所役人に要求される1回0.5Mの賄賂は気にならず。
  むしろこれを忘れて、カリブの各開拓地で不意に賄賂を要求されるのが予想外のデメリットでした。補給はできるので些細なことだし、一時的な慣れの問題になりますね。

・名声の大幅減少: 移籍前に欧州各国への亡命巡りをやったこともあり、名声値は3年前のそれを軽く下回るほど減少しました。冒険名声など0になってしまったので、今後冒険クエストをやる気になった際には大きなコストになるかも。現在のプレイスタイルへの影響はなし。

・悪名の加算: 移籍によって無条件に8000の悪名が加算されました。ふつうこれはデメリットになるはずですが、わたしの場合はこれを機会に戦利品を換金したのでお得イベントに。(対人上納品を使用されると獲得できる戦利品は、悪名が高いほど換金率が良くなります。)

【メリット】  次は事前に告知されていた各種メリットについて

・スエズ運河: カイロ―スエズ間の運河使用料/時間は、オスマン船籍の場合およそ150k/10分。もともと定期船の乗り換えがものすごく苦手で、ながら作業の長距離航海が苦にならない身としては、これは思いのほか便利に感じられました。アパルタメントがイスタンブールに移ったため、事前の予想以上によく使っています。

・変装不要/特別回航/専用陸路: オスマン領地・同盟港への変装が不要なのは、アイテム枠的に少し嬉しいかも。拠点回航とは別に使用できるイスタンブール回航、バスラ―ヤッファ間の陸路ともにまだ試していませんが、ひとによっては使える利点になりそうですね。

・ハイレディンの助言/援軍: アルジェでもらえるハイレディンの助言はパターンがいくつもあって、NPCとの会話としては新鮮で面白かったです。彼の船が登場するという援軍アイテムはまだ使ったことがありません。何かのイベント時にでも使うと、艦隊メンバーへのささやかなサービスにはなるかなw

【まとめ】
  もしかしたらプレイ環境がけっこう変わるかもという期待もしくは恐れを抱いての移籍でしたが、思ったほど変わらず。悪名さえ落とせば欧州各国への敵対度固定でも賄賂は要求されないので、オスマン移籍は特に冒険家スタイルをとるプレイヤーにとって事前に予想されていた以上にメリットの大きな選択肢になっていると言えそうです。

  画像はいずれも移籍時前後のもの。爵位が“藩主”って慣れない語感ですね。一つ下のかたは“知事”らしく。移籍によるPK(対人海賊)プレイ周辺の変化については、それなりにありました。あと初めて港の投資ランカーにもなってみたり。長くなったのでこれらについては機会をあらためます。史実のハイレディンに興味のあるかたは下記URLをどうぞ。ではまた再見~

  ハイレディンという栄光: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-76.html

魔坑にて 弐: ネット人格にプライドはありうるか!?2009年3月12日 ネットゲームの魔坑にて コメント (26)

魔坑にて 弐: ネット人格にプライドはありうるか!?
魔坑にて 弐: ネット人格にプライドはありうるか!?
魔坑にて 弐: ネット人格にプライドはありうるか!?
  先月の記事「転売バザーの生態調査!」は、結果的にコメント欄こそが記事本体というような展開を見せました。良い機会なので、新しく『ネットゲームの魔坑にて』と題した記事シリーズを立てておきます。

  今回は、先月の記事「転売バザーの~」に付いたコメント36番目の全文転載から始めます。以下転載部分を囲みにて。HN“既に遅いですが。”さんより。 
初めて拝見しましたが、君たちまとめて面白いw

言いたいことがあるなら言えば良いし、やりたい事があるならやれば良いと思うんだ。好きなように自由にね。ただ他人に迷惑をかけている人は、バッシングされる事は覚悟しないと。

後、引っ掛かったのが・・・
>読み手のほうで勝手に読み取った掲載意図を頑なに信じ込んで、疑いもなくこちらにぶつけてくる

これ現実社会でも多いですよね。
逆を言えばDOLって見事に現実社会の縮図な気もします。
#タガが外れているから痛い人が目立ちますが。

本来全員日本人なのに、ゲーム内国籍に色が出てくるのも興味深い。
人が少ないから濃い人に引っ張られやすいのか、別の何かなのか。
映画で言うと"es"なんですか、コレについてのgoodbyeさんの考察が聞いてみたいな。

ついでにgoodbyeさんの心理にも興味が
・なぜPKをやっているのか。
・ゲーム内の自らのキャラ名を晒してブログを書くのか。
・(鄭和さんへのレスを読むに)転売行為の是非はともかく、行為は悪質だと感じてらっしゃいますよね?

  転載以上。話が色々盛り込まれているので、まず気になる文節ごとにレスを。

> #タガが外れているから痛い人が目立ちますが。
  その‘タガ’のかなりの部分が共同幻想に基づいているんですよね。けれども、ネットゲーム内部であれば自身の‘タガが外せる’と判断してしまえる発想自体も実は丸ごと、当の共同幻想に規定されているわけです。つまり、‘ゲーム内だからという理由でタガを外した行為にでる自分’を、リアルの自分は自覚的であれ無自覚にであれ受け入れざるを得ない。けれどもそうした‘お約束’を知ってさえいれば、ゲーム内だからと‘タガ’を外してしまうのが本当は自分を貶める行為であることに気づけます。これは匿名掲示板などについても言えることです。

  ポイントは、そこで貶められるものが「他者関係のなかで維持確認される自尊心」ではなく、「自分の自分自身へ向けたセルフリスペクト」であるということですね。両者の違いが分からないのは端的に幼稚さの証ですから、‘そのように見える’言動をするひとに対して周囲のプレイヤーはごく常識的に‘痛い’と感じてしまうわけです。
  たとえば匿名による短絡思考の書き捨てや他者への中傷行為が、よく言われるように自身を安全圏に置いた行為ではありえず、実は自意識の基底レヴェルで深刻な自傷被害をもたらしていることに、やっている本人たちは無論気づきません。気づかないからこそどんな悪言を吐いても自分は傷つかないと誤認できるのですが、しかしそこで損なわれた、あるいは未成熟ゆえあらかじめ脆弱な自己評価こそが、その後の各人の実像をじかに形成していくという現実には抗いようがありません。

  ちなみに、こうしてたかがゲームを巡って長文を巡らせるgoodbyeの身振りなどもまた、別の意味でごく常識的に‘痛い’ひとに見えているはずです。だとすれば、そんな人間のつらねる言葉を延々とここまで読み続けてきたあなた、コメントをいただいたHN“既に遅いですが。”さんではなく、コメントは書き込まずともウォッチャー感覚で面白がり今モニターに向かっているそこのあなた、もまた当然のことながら、まぎれもなく同様に、‘痛い’です。この局面では匿名性の有無が無意味化するのも、自らの行為に対しセルフリスペクトを保てているか否かこそが分水嶺になるからです。ならばもう、一緒に芝生を育ててしまうのもありですね。

> ・なぜPKをやっているのか。
  そこでやや小難しい言い方のまま続けてしまいますが、ネットゲーム内部に侵入しているその共同幻想の‘輪郭’をより見極めたいというのがPK(Player Killer:他のプレイヤーを直接攻撃するひと)のスタイルをとる動機の前提にあるような気がします。このゲームを始めた初期のわたしは、「PKなんて超迷惑なだけじゃん。色付きの人らって、ちょっと頭おかしいんじゃない?」くらいに思う種のひとたちに、心情的にはむしろ近かった気がします。ただ“なぜそう思うのか”に時を待たず興味が移ったことは、いま思えばPKへの不快さを不快さのまま抱え続けるプレイヤーとの分岐点だったのかもしれません。これに続けて、↓

> ・なぜゲーム内の自らのキャラ名を晒してブログを書くのか。
  キャラ名によるプレイヤーブログの存在を始めて知ったときも、「なんなんだこのひとたち、たかがゲームに入れ込み過ぎてちょっちキモイ」くらいに感じたものです。ブログというのはもっと日常や思考生活を広範に扱うものという先入観があったんですね。だからとりあえず自分でもやってみた、というのが理由の一つ。いざ始めてみると、内面的にこれはこれで継続するに足る一本の芯が通ったというのがもう一つ。
  つまり当ブログの存在は3年前のわたしにとってすら、キモイ。いはんや世人にとりてをや。

> ・転売行為の是非はともかく、行為は悪質だと感じてらっしゃいますよね?
  あるひとの抱えもつ‘善意’は、他者によっては通用しないケースが大いにあり得るという点で極めて主観的なものですよね。鄭和さんがコメントでそれを‘信仰’と表現された通り、その基盤には祈りにも近い深く個人的な思惟、もしくは他者に対する安易でイノセントな思い込みがあります。そしてこの基準に照らせば悪質と判断するしかないというニュアンスで、転売一般にではなく個別特定的に片桐さん(≒目の前で転売を始めてしまうスタイル)に対して、確かにわたしは悪質だと感じています。もっともそれ自体は記事中から読み取れるとしても話を俎上にのせるためのブースターに過ぎず、その行為を行為者本人が悪質と考えてやっているかどうかという別の問題こそが、個人的には関心の焦点だったわけです。
  ただしこのことも、いわゆる‘中のひと’の人間性と短絡できるような直接関係はないと考えています。ここから以下、各論的なレスを一度離れます。


▼画像と予告
  というわけでここからが本論部なのですが、すでに長過ぎるので一旦切って今回は終わります。続きはまたいつか。右上画像は、オスマン帝国との‘契約’前に終えたイスパニアイベントと、各国亡命行脚中の一光景です。鄭和さんとネモッティさんの画像は事前了承なしの掲載です。鄭和さんはこの記事でも再度お名前を拝借してますのでご登場いただきました。ネモさんは長く敵対私掠の間柄でしたが、実はそれ以前の低レベルの頃からフレだったりします。ないと思いますが万一画像掲載に問題あれば削除するのでお知らせを。
  また今回の新記事シリーズ開始にあわせ先月の記事を事後的に「魔坑にて 壱:転売バザーの生態調査!」と改めます。記事シリーズ検索は左欄下方(テーマ別一覧)にて。

  この記事シリーズは、読み手のかたからの反応によって後続するテーマを変えていきます。「壱」にいただいた反応から、見切り発車によるそうした方法もアリなのに気づきました。こうした経緯のため、「壱」へのコメントも、今後は当記事シリーズの最新記事にいただけると流れ的にまとめやすく、助かります。
  忌憚ないコメントがいただければ、その流れから見えてくる新たなテーマもありそうだと期待します。ぜひ思うところをお気楽にコメントお寄せください。よろしくです。

Job Description 17: 香料商人 【パフューム ある人殺しの物語】2009年3月3日 就職・転職

Job Description 17: 香料商人 【パフューム ある人殺しの物語】
Job Description 17: 香料商人 【パフューム ある人殺しの物語】
Job Description 17: 香料商人 【パフューム ある人殺しの物語】
  18世紀前半、パリの最貧区に超人的な嗅覚をもった男の子が生まれ落ちます。その天性の才能はやがて、青年期のある夜に意図せず殺してしまった少女の香りによって昇華され、そこから彼の人生は‘許されざる’疾走を始めてゆきます。

    公式HP日本版: http://perfume.gyao.jp/ (予告編動画あり)

  この映画をめぐっては2007年の日本公開時、主に3つのエピソードによって話題になりました。ひとつは事前に放送された作品のテレビCMが、750人の裸体によるラヴシーンという衝撃的な内容からクレームによって中止されたり、放送を拒否したテレビ局もあったというエピソード。もうひとつはスピルバーグやマーティン・スコセッシといった名だたる巨匠たちが映画化を熱望しながらも、原作者の拒絶によって果たされなかったこと。そして何より、‘匂い’の主題化という難題に成功した稀有の作品であること。

◆匂いという深淵
  この‘匂い’の映像化こそがこの作品の肝なのですが、匂いが攪拌され、拡散していく様を光の明滅や風などによって表現する手法には極めて独創的なものがあり、観ていて唸らされるものがありました。主人公がただひたすらにその特異な嗅覚に駆られ、翻弄されることによってのみ己の人生を蕩尽させてゆくという筋書きへの説得力もまた、この匂いの演出によって堅固に下支えされています。反対に、異常犯罪者をメインに据えた映画にありがちな‘言葉による心理描写’を一切排した展開は、ある種爽快ですらありました。
  そこであらためて気づいたのですが、できるだけ多くの観客の感情移入を誘う必要がある商業映画のプロットに、共感不能の動機を抱えているからこそ結果的に異常犯罪者として屹立してしまった人間の心理描写を当てることは本来、構造的にかなり矛盾しているのですよね。たとえばハリウッドのわかりやすい勧善懲悪はこの矛盾を思考停止的に看過するための便利な‘お約束’でもあったわけですが、製作主体の多国籍化が進んだ近年どこにおいてもそうした製作手法は通用しにくくなってきたようです。

  ここで映画前半の舞台である18世紀前半のパリについて少し言及しておくと、世紀の初頭に没した太陽王ルイ14世による散財などによってフランスの経済は低迷し、農村からの流入による人口増加で都市は極度に不衛生化していました。なかでもこの主人公が生まれたのは肥大化した都市の最下層に横たわるスラムですから、その悪臭に満ちた生活世界の汚さは本編の冒頭でもこれでもかというほど執拗に再現されています。
  民がみな貧しく、非情なまでにサブスタンシャル(≒物質的,即物的)な原理のみが支配するその世界で、死とつねに隣り合わせの日々を生き抜いてきた彼にカトリックの恩寵はほど遠く、また当時上流社会を風靡した啓蒙主義の光が差し込むはずもなく、従ってそもそも21世紀のわたしたちが共感しうるモラル観念など彼のうちには育つ理由がなかったわけです。そのあたりにミステリアスな起源を匂わせないことも、異常犯罪を描いた作品には珍しいことかもしれません。たとえば“羊たちの沈黙”や“ハンニバル”であれば怪物的に明晰なレクター博士に対し、若きFBI訓練生のクラリスが観客側の共感装置として働くのに比べると、この作品では圧倒的な断絶が維持され続け、感情移入の契機が奪われたままストーリーは進行していきます。

◆感覚の果てなるもの
  こうした断絶は、作品世界においては主人公の凶行に対する貴族社会の動揺によって表現されているとも言えるのですが、そうしたなかで唯一冷静に犯人像を割り出していく貴族の役に名優アラン・リックマンが当てられているなど、この作品は配役の妙にも非常に卓越したものがあり見逃せないところです。
  天賦の才を持て余していた主人公に、香水の調合法という体系化された手段を与える、出演時間は短いながらとても重要な調合師の役にはかのダスティン・ホフマンが起用されています。恐らくは超高額なギャラをもピンポイントの端役に注ぎ込んだこの冒険的キャスティングは見事に功を奏しており、その短いシーンでダスティン・ホフマンが見せる‘嗅ぎ分ける’演技の巧みさは秀逸というほかありません。またオレンジの花やクローブ(丁子)、ムスク(麝香)といった香水の材料を判別していく際にホフマンが見せる、ハンカチを揺らせたあとに広がる空気を嗅ぎとっていく仕草は、終盤の問題のシーンの伏線としても演出上かなり重要な機能を果たしています。

  この作品の制作を担当したベルント・アイヒンガーは、実は当記事シリーズでは既出の“薔薇の名前”のプロデューサーでもあります。“薔薇の名前”撮影時にはその辣腕ぶりが伝説ともなった彼ですが、本作においても時代考証へのこだわりや舞台美術の徹底ぶりは健在でした。監督のトム・ティクヴァは、実験性と娯楽性を兼ね備えた意欲作“ラン・ローラ・ラン”(Lola rennt, 1998)の監督としてすでに知られていましたが、本作はその先進性においても彼の出世作を凌ぎました。巨額の制作資金が投じられてなお実験的精神を盛り込めたのは、それ自体が制作陣の協働による稀有の達成と言えるでしょう。
  またBGMをサイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が担当していることも特筆に値します。彼らの音楽が作品の質にどれだけ作用しているかは映画を実際に観てもらうしかありません。会話以外のパートでほぼ常時流れ続ける調べの高い表現性には全編にわたって淀みがなく、決定的に効いています。

  ともすればセンセーショナルなシーンばかりが話題を集めがちなのは、一般に流通する映画評としてはやむを得ないところもあるでしょう。しかし衝撃のラストとして語られがちな終盤の群衆シーンは、観てしまえば明らかなのだけれど実際にはラストではないんですね。個人的にはそのあとにある本当のラストシーンのほうが色々な意味で感銘を受けたのですが、これについてはネタバレになりかねないため詳述せずにおこうと思います。
  ただこのとき主人公が感得していたであろうものに巡らせてしまう想像のうちに広がる色彩と、このきわだった異様さを湛える作品があとに残した余韻のぬめりとした触感は、わたしのなかで相異なる感覚のあいだにどこか通じる同じ波長、いわば共感覚的とでもいうべき近種の味わいにくるまれた何かでした。映画のなかで幾度か再帰的に挿入されるシーンにおいて、殺してしまった少女の乳房の香りを手のひらで必死に掬いとる主人公がその後の生涯をかけ真に追い求めていたものは、あるいは‘究極の匂い’などではなかったのかもしれません。

"Perfume: The Story of a Murderer" by Tom Tykwer / Ben Whishaw, Alan Rickman, Dustin Hoffman, Karoline Herfurth, Rachel Hurd-Wood, John Hurt / Bernd Eichinger [producer] / Patrick Süskind [book author] / Berliner Philharmoniker [music performer] / 147min / France, Germany, Spain / 2006

魔坑にて 壱: 転売バザーの生態調査!2009年2月21日 ネットゲームの魔坑にて コメント (45)

魔坑にて 壱: 転売バザーの生態調査!
  Notosサーバには「片桐ミルク」という評判の悪い転売キャラがいることは昔から知られています。以前からそのキャラの存在は気になっていたのですが、良い機会を得たので記事化してみます。

  とはいえこの記事はマナー違反を超えて規約違反に当たる性格をもつため、運営によってこれを理由にgoodbyeのアカウントが強制停止される可能性も少なからずあります。しかしそうなっても試みる価値はあると判断したので掲載してみます。あくまでゲーム内公共性という範囲でのみの価値ですが、実在のキャラ名記載に至った理由も込みで、掲載意図を巡る詳細は後半に。
  前回記事に続き、当然ながらややネガティヴサイドに取り込まれた物言いになります。ただし書いている動機そのものに変化はなく、明るい面があれば暗い面もあり、どっちも見たいけど暗い面を見るときは暗い言葉が並ぶ‘こともある’という以上のものではありません。

  また、ネットゲームを巡るモラル問題や匿名性に起因する軋轢など比較的暗い部分に関しては、以前から当ブログで取り上げることを考えてはいました。しかしなかなか腰が上がらずにいたことも、この記事掲載に至った動機の一つになっています。ただ恒久的な掲載を意図した記事はもう少し練って書く必要を感じるため、今回の記事は数日中に削除します。本番記事では当該キャラ名を伏せる予定です。

  では本題。以下の会話はジャワ海にてNPC狩り中、突然入ってきたTellから始まりました。
  下記「片桐コーヒー >>>」以右は片桐さんの発言、「>> 片桐コーヒー>」以右はgoodbyeの発言です。

片桐コーヒー >>>こんにちわ。突然すみません。
>> 片桐コーヒー>?
片桐コーヒー >>>ああ、すみません。今、少しお時間よろしいですか?
>> 片桐コーヒー>なんですか
片桐コーヒー >>>この新しい仕様で、安全海域とかってなってますが。。。
片桐コーヒー >>>PKさん的に、どう捉えておられるのかな、とw
片桐コーヒー >>>ちょっとご意見をお聞きしたくて。
>> 片桐コーヒー>はい?
片桐コーヒー >>>えーーっと。。。
>> 片桐コーヒー>とりあえずあなたが誰かわかりません。本キャラはどなたで?
片桐コーヒー >>>えーーっと。。。これですが。。。
片桐コーヒー >>>初対面ですが。。。
片桐コーヒー >>>申し訳ございません。
片桐コーヒー >>>失礼を承知の上で。。。tellさせていただきました。
>> 片桐コーヒー>ではとりあえず言いますが、バザの値段には他の不特定プレイヤーへの善意が伴う場合があります。あなたの転売行為はそもそも失礼を超えてそうしたプレイヤーの意図を損なってます。それは本来やってる本人が苦しんでもいいことですよ。わからないかもですが。
片桐コーヒー >>>。。。ん?
片桐コーヒー >>>何か被害でも被られましたかな?
片桐コーヒー >>>もしそうであれば、申し訳ございません。
片桐コーヒー >>>具体的に言っていただければ、改善いたしますが。
>> 片桐コーヒー>べつに私個人がどうではなく、けっこう有名ですよw
片桐コーヒー >>>ええ、有名なのは知ってますw
片桐コーヒー >>>2chでも一時、叩かれてましたからw
>> 片桐コーヒー>まあわかったうえでやってるんでしょうけど、PKと同じで傷つくひとは傷ついてますよね。自覚的ならそれ以上言うこともないですけど。
片桐コーヒー >>>ええ、そうだと思いますよ。
物資を補給しました
片桐コーヒー >>>あくまでも仕様の中です。
>> 片桐コーヒー>いやそこは個人的にどうでもいい問題で、安く提供しようとしてる他人の善意を消去してることについて何か思うところがあるのか何も思わないのかが伺いたいところなんです。
片桐コーヒー >>>ああ、すみません。
片桐コーヒー >>>悪質な転売行為の報いなのか、突然、落ちましたww
>> 片桐コーヒー>責めてるわけじゃないですよ 単に疑問として聞いてくだされ
片桐コーヒー >>>ま、そういうゲーム内のモラルの話は個々人で言い合ってもしょーがないですよ。
片桐コーヒー >>>仕様を悪質に利用してるのならば、運営側に改善を求めるべきです。
>> 片桐コーヒー>いや、いまは個人でどう思ってるかを聞いてみただけです。仕様の問題はどうでもよく、片桐さん個人の思考を聞いてます
片桐コーヒー >>>ええ、責められているつもりは一切ありませんので、どうぞ、ご意見を言ってくださいな。
片桐コーヒー >>>ええ、私はマーケットというのは自由意志だと考えます。
片桐コーヒー >>>マルクスの理論に則ってやっております。
>> 片桐コーヒー>いや、それはないです
片桐コーヒー >>>いえ、否定されるとか肯定されるとかそういうお話ではないです。。。
片桐コーヒー >>>私の考えを述べているだけですが。。。
片桐コーヒー >>>議論でもするおつもりですか?
片桐コーヒー >>>私個人の思考をお聞きになられたのではないですか?
>> 片桐コーヒー>社会理論と主体の審級は違いますよね。後者について聞いてみたまでです。
片桐コーヒー >>>社会理論は個人に集約されると思いますが。。。
片桐コーヒー >>>えーーっと。。。何がおっしゃりたいのか。。。私の考えをお聞きしたいのでは??
片桐コーヒー >>>自分の(マジョリティ的に悪質な)行為について。。。自分の考えを述べるつもりでしたが。。。
片桐コーヒー >>>あるいは、それに対するあなたのお考えをお聞きしてもいいですし。
>> 片桐コーヒー>違います。こんなことは初学者の前提で、それでは社会学と心理学の区別が意味をなくします。つまりあなたのいまの態度はですね、単に逃げてるだけだし、本当はそのこともわかってるヘタレの言表行為にしかなってないので
片桐コーヒー >>>それは個々人について、とても生産的なことだと思います。
片桐コーヒー >>>そうですかw
片桐コーヒー >>>私のどのような態度が何から逃げているとお考えですか?
>> 片桐コーヒー>なんだと思います?
片桐コーヒー >>>ぜひ、教えてくださいなw
片桐コーヒー >>>逃げているつもりはまったくありませんのでw
片桐コーヒー >>>でも、無意識に逃げてることも、もちろんあるでしょうな。
>> 片桐コーヒー>ご自分が、自分でわかってるのに認めない何かを指摘されても認めないひとである可能性についてはどう考えます?
片桐コーヒー >>>ええ、もう少しわかりやすく言っていただけませんか? 学がないもので。
片桐コーヒー >>>具体的事象で言ってくださいなw
>> 片桐コーヒー>学がない人間がゲームにマルクスだのマーケット理論だのを持ち込めるわけないでしょう
片桐コーヒー >>>あの。。。話を逸らさないでくださいw
片桐コーヒー >>>学があるかないか は マルクスを運用できるかできないか ではありませんでしょうw
>> 片桐コーヒー>「具体的事象で言ってくださいなw」「あの。。。話を逸らさないでくださいw」というセリフ自体があなたの態度を明確に表出している、ということは前述したとおりです
片桐コーヒー >>>うん、意味がわかりませんw
>> 片桐コーヒー>私的にはすでに聞いてみたいことは聞き出せたので、あとは関心のわく範囲で応答してるだけです。わからないならそれまでですね^^
片桐コーヒー >>>あ、聞き出せたのですか。それはよかったですw
>> 片桐コーヒー>はい
片桐コーヒー >>>じゃ、私の最初の質問にもお答えいただければ幸いですが。。。
>> 片桐コーヒー>安全海域?
片桐コーヒー >>>ええ、そうです。
片桐コーヒー >>>今回のUP(特に海域)について、PKさんがどのように思われているのか。
>> 片桐コーヒー>PK一般の立場を聞く相手としてわたしにTellしてきた時点で能登の古株さんとしてはけっこう微妙な気がしますが
片桐コーヒー >>>いえ。。。そのとき、同じ海域に あなた しかいませんでしたのでww
>> 片桐コーヒー>特になんとも思わないです。
片桐コーヒー >>>あ、そうですか。ありがとうございました。
片桐コーヒー >>>お時間を取らせてしまって、すみませんでした。では失礼します。
片桐コーヒー >>>ちなみに、お時間を取ったのはあなたの質問内容の方でしたがw
>> 片桐コーヒー>いえ、いいネタになりました
片桐コーヒー >>>またどこかでお会いしましょう。いいお話ができましたよ。
>> 片桐コーヒー>はい では~
片桐コーヒー >>>では、失礼します。よい航海を~



  転売行為自体は仕様上は現に認められている行為で、チャット中にもあるようにその行為自体について否定しようとは思わないし、個人視点で否定することに意味があるとも思いません。ただし、その存在に興味はありました。仕様上は認められているけれど、プレイヤーによっては心理的な被害を大きく被り得るという点で、転売キャラの存在はPK(≒対人海賊)キャラのそれに似ています。他プレイヤーの感情領域に土足で押し入る点ではゲーム外サイトでの晒し行為にも共通する要素があります。
  プレイヤーブログや匿名掲示板上でPKのキャラ名が本人の了承なしに頻繁に飛び交うのはこうした通底要素があるためですが、以上のことから同じ要素は転売キャラについても認められると考えます。試行的にとはいえ当記事で実在のキャラ名を本人の了承なしに掲載することを決めたのはこのためです。

  ネットゲームは、実社会での顔を隠したゲーム内人格によりヴァーチャルな人間関係/社会を仮構できることが魅力の一つになっていますが、それは必然的にある種の人々についてその実生活ではまず表に出ないだろう暗い側面が湧出される契機にもなりえます。それは実のところ、わたしにとってネットゲームをプレイするうえで最も興味が惹かれる“具体的事象”(↑片桐さんの用語より)の一つでもあります。上記の交信について言えば、本人は軽い皮肉なり、流れのなかの何気ない応答のつもりで発したセリフに顕現しているものこそが、わたしの見たかったものの片鱗だったりします。チャット中の‘私的にはすでに聞いてみたいことは聞き出せた’とはそれを意味します。たとえば以下の2行のように。

   片桐コーヒー >>>悪質な転売行為の報いなのか、突然、落ちましたww
   片桐コーヒー >>>でも、無意識に逃げてることも、もちろんあるでしょうな。


  ちなみに、実は片桐ミルクさんと片桐コーヒーさんの中の人が同一人物という確証はまったくなしに会話を始めています。けれどそのブラフが効いたのか否か、拍子ぬけするくらいあっさり認めていただけました。あとこのひとの主張そのものにも少し言及すると、こうした転売行為の存在はトータルでみれば単に相場を上げる効果をもたらすだけでマルクスの運用も糞もないのですが、実存の問題とシステムの問題との境界すら認識できていない時点で彼の理屈は語るに落ちる以前にそも他人と議論できる最低限の水準にありません。

  後日、気力の乗ったときにでも改めて本番の記事シリーズを始められればと思います。いま思い付ける範囲で言えば、ゲーム内世界における匿名性/実名性問題や、ブログなどゲーム外部でのプレイヤー同士の争い、RMT(リアルマネートレード)、ネットゲームによる社会疎外促進の可能性等々がテーマになりそうです。いつ始める気になるかは、謎です。

曲刀の鞘の三日月2009年1月31日 常在戦場 コメント (2)

曲刀の鞘の三日月
曲刀の鞘の三日月
曲刀の鞘の三日月
  goodbyeの船には来月後半、オスマンの緑月旗が翻っている予定です。では近況から。

▼賞金首の剣士、逃げる
  最近は剣士へ転職して、NPC狩りをメインに遊んでいます。R10に満たない防御・戦術・銃撃を中心に鍛えているのですが、もちろん今さら白兵スキルに不足を感じたわけもなく、主たる目的は他にあります。溜まった録画DVDの処理と、対オスマン帝国の友好度上げですね。飽きたらお金稼ぎも兼ねて、レアハントにジャワ海方面へ出張したり。

  NPC狩り自体は単調で‘ながら作業’に最適なのですが、かなりの高額で売れる重装船尾楼を3つ持った状態でPKK(海賊討伐艦隊)のかたに追いかけられるなど、賞金首ゆえのスリリングな事態もほどよく起きています。

▼スルタン謁見に向けて
  PC国家としてのオスマン帝国実装が目玉の大型アップデート、とうとう来月半ばに迫りました。新PC国家の実装という意味では、実に3年半ぶりということに。

   公式HPでの告知: http://www.gamecity.ne.jp/dol/cruzdelsur/ottoman.htm

  旧来の6国家間におけるプレイヤー所属国の移動は“亡命”システムにより可能でしたが、オスマン帝国への移籍については表現が“契約”という言葉に変更されました。とはいえ契約に時限性があるわけでもなく、枠組みは基本的に同じ様子。呼称による外見上の差別化、歴史宗教感情への配慮、といったところでしょうか。いずれにしても、微妙、とだけ感想を述べておきます。これに限らず全体的に、こういうところで演出できる“粋”もあるのに敢えて野暮をとる方向性は、現在の開発陣に一貫してますね。

  わたしがオスマン旗への移籍を決めているのは、新仕様への興味からではなく、むしろ‘大航海Online’を継続的に遊びたくなるような動機が現状ではあまり感じられずにいるからです。ならばこの規模のアップデートが必然的に惹起するだろう諸々のアンバランス設定や、それに付随して起こるだろう局所的な不条理劇の幾らかを満喫するのに最適なポジションを採ろう、という目論見ですね。
  現在告知されている移籍条件は、支払うべきコストの予想外の大きさが、移籍に前々から関心のあったプレイヤーの多くを逡巡させているようです。けれども個人的には、そうした迷いが持てることを逆に羨ましくも思います。昨年は都合4回しか課金しませんでした。コストの大きさゆえ移籍を諦めたとして、現状が続くだけなら今年はさらに課金回数も減ることでしょう。思い入れのあるゲームだけに、これはとても残念な事態なのです。ゆえに、オスマン。

   アミバ様の木人形狩り日誌: http://amibasama.seesaa.net/article/112699276.html

  すでに告知のある新要素についての個別の感想は割愛。代わりに古参プレイヤーが抱く意見の一例を紹介しておきます(↑前後にも関連記事があり)。総じて毒舌調ですが、公式HPでの告知を古参プレイヤーの立場から論理的に捉えれば大体そうなるという思考が、よく網羅されていると思います。ちなみにアミバ様は、Notosサーバの古株なら恐らく誰もが知る名物プレイヤーです。(仮面的に)

▼開発者インタヴューの怪
  個人的に気になるのは個別の設定がどうこうという話より、全体として最近のアップデートの目指す方向性がさっぱり見えないことです。見えない以上、共感することも楽しみに待つこともありえません。たとえば大型アップデートの前には4Gamer.netによる開発担当者2名へのインタヴュー掲載(↓)が恒例になっていますが、少なくない古参プレイヤーの目にはこれが胡散臭く映って失笑を買うのもまた‘恒例’になっています。

   4Gamer.net:    http://www.4gamer.net/games/013/G001372/20081225077/
   教祖blog in Notos: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1385.html


  最近のインタヴューにもその徴候は顕著に表れています。たとえば直近のアップデートに関して毎回登場する「プレイヤーの皆さんに大変喜ばれた」「ご満足いただけた」といった類の発言。これは既存のプレイヤー向けというよりは、この記事を機にプレイを始めるかもしれない4Gamer.net読者へ向けられたものと考えられます。十把一絡にされた既存のプレイヤーとしては、そう受け取らなければ不快に感じるひとすら少なからずいるはずです。しかし潜在的な新規プレイヤーへのPRとして、今回の4ページにも渡る長文はどうみても不適切です。
  ではやはり既存プレイヤー向け‘でも’あったのか。無論そうなのでしょうが、しかしプレイ履歴の長い人間であれば、この二人の発言には外向きの誇張が大量に含まれていることは遠い昔に誰しも気づいているはずです。実際にその言葉にどれだけの内実があるかが問題なのではなく、そのように感じさせてしまう発言を常とすることが、読み取れる意図に照らせば相当に不可解なのですね。

  いま新しいネットゲームを始めようと思ったら、まず公式HPを検索するなどしてそれがどんなゲームかを確認しますよね。同様にどれくらい面白そうなのかは、実際にプレイしているひとのブログなりSNSでの感想なりを探したうえで推し量るものだと思います。ソフト産業における広告戦略においてユーザーの声ほど決定的なものが他にないことは、各種娯楽産業の行う口コミ戦術やAmazon等の品評システムを持ち出すまでもなく明らかでしょう。
  しかしそのユーザーサイドの肉声による文章に、例えば上掲の教祖ブログ(←各種検索サイトにおいてこのジャンルの最上位にランクされやすいブログの一つ)における皮肉のように、あるいは以前話題になった、この二人をモデルとするAA(アスキーアート)に代表される嘲笑的な反応が並んでいればどうでしょうか。そうなれば新規巻き込みの目的としても、既存プレイヤーへのアピールとしても、インタヴューでの二人の見せ方は上策ではなかったということになります。
 
  話を元に戻すと、長いスパンでの拡張計画に対して既存プレイヤーがまず何よりも望むのは、やや抽象的に言えばできるだけ齟齬の少ない流れのなかに自分のキャラを位置づけられる“見取り図”のようなものではないかと思います。要はグランドデザインの提示なのですが、外観的には‘ゲーム世界がこうなる頃には、自分のキャラはこういう方向へ持っていこう’というようにプレイヤー各自が抱く物語のメディウムになりうる形でアウトプットされる必要があるはずです。直近のインタヴューで最もそれに近い発言は、1ページ目の中段にあるので以下に一部を引用します。

 “「Cruz del Sur」最初のアップデートが世界一周をするというコンセプトから始まったのであれば,その締めとなる部分は……やっぱり世界一周の旅を終えたいですよね。”

  ……‘その締め’がオスマン帝国実装であるという物語は、果たして既存プレイヤーに対するインセンティヴとしてどれほど機能するのでしょうか。あるいは発言の意図は別にあったのでしょうか。何を言うべきかおぼろげに分かっていながら、そのための言葉を準備しきれていない、そういう印象すら受けてしまいます。わたしにとってそれは、メガネの男性が毎度繰り返すこじつけめいたセリフともども、やはり謎のままなのです。

▼おまけ
  ちょっと今回、マイナスオーラが出すぎたかも。でも、開発資金力より発想の問題、みたいなところが目につくと、もったいないよな~、残念だな~、って思っちゃうんですよね。ついでに1年前と2年前に書いたオスマン帝国実装関連の記事URLを下記に。想い続けて幾星霜。

   王朝のゆくえ:  http://75061.diarynote.jp/?day=20071216
   麾下の破軍:   http://75061.diarynote.jp/?day=20070209

「麾下の破軍」中の対人上納品を巡る新仕様については、オスマン帝国所属のプレイヤーについてのみ使用を禁じることでプレイヤーのゾーン分類ができるのではという思いつきでした。現在告知されている仕様下ではまずありえない設定ですが、直近のインタヴュー中にあるようなユーザーサイドからの要請に対しては、全プレイヤーに対し一律に発揮される費用対効果のバランスを変更するより、ゾーン分けという発想のほうがまだ効くと思います。日本実装に関しても過去記事中で言及した状況がオスマン実装によって変わるため、新たに思うところはあるのですがまたの機会に。

Job Description 16: 熟練剣士 【アラトリステ】2009年1月21日 就職・転職 コメント (6)

Job Description 16: 熟練剣士 【アラトリステ】
Job Description 16: 熟練剣士 【アラトリステ】
Job Description 16: 熟練剣士 【アラトリステ】
  17世紀前半、スペインは隣国ポルトガルを併合し、アルマダの海戦に敗れつつもいまだ世界の覇権を掌中に収めていました。しかしフランドルでのオランダとの戦争はいつまでも絶えることがなく(八十年戦争)、やがて西仏戦争が勃発、カタルーニャやポルトガルでは大規模な反乱も起きるなど、その繁栄には少しずつ翳りが差し始めます。スペイン映画“アラトリステ”では、こうした時代のイベリア半島を駆け抜けた一人の剣士の生涯が描かれました。

     公式HP: http://www.alatriste.jp/ (予告編は一見推奨)

  主人公アラトリステは、戦時には前線に赴き、平時には貴族から暗殺依頼を請け負うなどして糊口をしのぐ暮らしに自足する男でした。しかしその研ぎ澄まされた技量や直情的な生き様は自然に仲間からの信頼を集め、王国一の女優に愛され、国を牛耳る貴族たちから一目置かれるようになります。やがて運命は彼を素朴な剣士稼業から引きはがし、時には国際情勢を揺るがすような権謀術数の渦中にも巻き込んでゆきます。映画はこうして展開される彼の波乱万丈の人生を、視覚的にもとても凝った演出によって見せてくれる、期待値以上に贅沢な作品に仕上がっていました。

◆原作と映画
  原作は同タイトルの小説『アラトリステ(El capitán Alatriste)』。全6巻からなるこの小説は世界的ベストセラーで、数十カ国で読まれているようです。扱う時代的に言うならば池波正太郎の剣客物や司馬遼太郎等の戦国物のラテン版といったところでしょうか。著者のアルトゥーロ・ペレス=レベルテ(Arturo Pérez-Reverte)は元新聞記者で、国営TV局の戦場特派員の経歴もあるといいますから、そうした生の戦場体験が活かされていることも恐らくヒットの理由にあるのでしょう。
  映画では一応この全6巻のエピソードが集約的に描かれています。「一応」と書いたのは、わたし自身は原作を読んでおらず、2時間前後の映画の尺に収めるにはうち1作か2作程度のエピソードを重点的に扱うのが限界だろうと推測するからです。そして実際この点に関しては、作品を観てややエピソードを詰め込み過ぎているかなあという感想も持ちました。パーツパーツは良いのに全体として過重気味なのが逆に作品を薄くしていまっている印象は、同様に原作が超長編の“グリーンマイル(The Green Mile) [S.キング原作, トム・ハンクス主演, 1998]を思い起こしました。

  また、制作側はまずスペイン国内での大ヒットを目論んで撮ったはずですから理解はできるのですが、たとえばスペイン史に疎い日本の観客などには前後のつながりが意味不明に映るだろうと思う箇所を散見したのも気になりました。
  これは上杉謙信と武田信玄、織田信長と徳川家康の関係くらい常識的に知っているだろうという前提のもとで撮られた正月の戦国ドラマを、字幕だけ付けて「さあ楽しめ」とジャマイカ人やマサイ族に観せるようなものに近く、どう考えても無理があります。なのでこの記事をきっかけにこれから“アラトリステ”を観ようと思ったかたがもしいらしたら、あらかじめスペイン史年表を少しおさらいしておくと良いかもしれません。

  ところでこの原作小説、日本ではあまりというか、ベストセラー書籍というニュアンスではまったく話題になっていないと思いますが、文学に限らず文化全般においてスペイン語圏の作品は日本ではあまり普及しないイメージがありますね。文化的な相性なのか、商業構造的な制約によるのかはわかりませんが、英語に次ぐ話者人口があるのに対し、スペイン語から直接日本語に翻訳/通訳できるプロの絶対数が少なすぎるという事情もあるのかもしれません。
  しかしそうした状況下で奮闘している翻訳家の方々というのはやはり確固とした信念の持ち主なのでしょうか。原作『アラトリステ』の日本語訳者さんのブログを偶然に見つけたのですが、これが凄い。その圧倒的な情報量には煮えたぎるような情熱の所在を嗅ぎとらざるをえず、よって嫌が応にもここでも紹介せざるをえませんでした(↓)。ちなみに当該ブログ署名の‘ゲベード’は映画に登場する詩人の名で、この詩人は激情型の愛すべき個性を以って描かれています。

     ゲベード様のブログ:  http://alatriste.exblog.jp/ 

◆アラトリステの侠気
  ネタバレになって興を削がないような範囲で、映画本編の内容への言及をもう一点だけ。主人公の侠気(おとこぎ)について。
  時代物の映像作品におけるストーリーには、大別して時代状況そのものの表出を通して人間全般について語ろうとするものと、時代的な制約のもとでもがく主人公個人の普遍的心情を描こうとするものがありますが、この作品はどちらかといえば後者です。この意味で言えばアラトリステ役の位置付けは、日本映画で言うところの黒澤映画における三船敏郎や、仁義なきシリーズの菅原文太といったところでしょうか。主要な脇役にことごとく生粋のスペイン人俳優が起用されているなかで、ただひとり主演のヴィゴ・モーテンセンだけがデンマーク人ハーフの質実剛健で静的な風貌を湛えていることは、こうした面で観客の心情を主人公の内面に焦点化させるうえでも非常に効いていたと思います。

  ですからそうした感情移入の仕方でこの映画を楽しむというのは大いにアリなのですが、果たしてそれだけが制作者サイドの意図した仕掛けなのかと考え始めると、観終えて少し疑問も覚えました。わたしは映画を観ている最中は、主人公が5歳児だろうが子豚だろうが全力で感情を没入させて一喜一憂するタイプです。従ってこの作品でもエンドロールが始まった時点ではもう世の裏の裏まで見知った熟練剣士の気分満載で、早々に退場するお客さんの影が劇場脇の扉に映ろうものなら「すわ刺客か」と腰に手を当てたほどでしたが、数分たつとまた別の感興が湧き起こってきたのですね。
  映画の中盤で、主人公が悪者から奪還した大量の金塊を目の前にして、それを仲間と山分けできたにも関わらず、懇意の伯爵が掲げる大義を信じて手をつけない場面があります。その功によってスペイン王が彼に褒美を直賜するのですが、この非常に高価な褒美をも主人公は、そのすぐあとに現代的な経済感覚からは考えられない交換によって簡単に手放してしまいます。その‘交換’はあるとてもロマンティックな目的のため行われたのですが、続いて起きた悲劇的な事件のためその目的も達成されずに終わります。結果としてアラトリステの思惑次第で手にしえた、大量の金塊により表現された物質的利得はほぼすべて水泡に帰すことになるのですが、その個人的損失に対する自意識の拘泥はまったく描かれることがありません。これがたとえば日本の民放ドラマなどであれば、そこで売れ線の主演タレントが悲憤に暮れるドアップが必ず来るような場面もみなスルーされてしまうのですね。これはいったいどういうことなんだろうとしばし考えて、思い至ったのが制作者側の作品に込めたアイロニーというか、現代という時代への社会批判的な演出意図の存在でした。

  ここから先を作品に即して続けるのは、ラストの核心に触れてしまいそうなのでやめておきます。とにかく、この映画で描かれる剣士一人の命というのはとても軽く安いものであったがゆえに、そこに脈打ったであろう死生観には現代人が抱えるような肥大化した自意識が混じり込む余地はまるで感じられません。けれども近世以降に起きたに違いないこの価値観の変化は21世紀を生きるわたしたちにとって、本当にもろ手を挙げて喜ぶべきことだったのか。得られた安全や快適さと引き換えに失ったもののなかには、本来人間が人間的に生きるうえでとても大切な何かが含まれていたんじゃないか。だとすればそれは具体的には何なのか、すでに払った代償として忘却したままで本当に自分たちは良いのだろうか。そうした問いかけがこの作品の根底には含まれているのかも、などとエンドロールが終わる頃には思い至り、興奮の余韻とともに席を立って劇場をあとにしました。いつも通り穿ちすぎかもしれませんけど、こう考えてくるとそれはかつて小津安二郎監督が再三採り上げていた主題にも近いものを感じます。
  ともあれおすすめの一篇です。衣装やセットにはふんだんに手がかかっており、ベラスケスの肖像画に怖いくらいに似ているフェリペ4世などが登場して目を楽しませてくれます。テルシオ(スペイン方陣)などもバッチリ再現されていて、絵作りにもとても気合の入った作品でした。

“Alatriste” by Agustín Díaz Yanes [+scr] / Viggo Mortensen, Eduardo Noriega, Javier Camára, Elena Anaya, Ariadna Gil / Benjamin Fernandez [art director] / Arturo Pérez-Reverte [book author] / 147min / Spain / 2006

ねこの小海賊2008年10月26日 常在戦場 コメント (2)

ねこの小海賊
  “成績不振で大会の出場が危うく、参加する為に自らの肉体を差し出す。” 今回のキーフレーズです。

  さて若干の休止を挟み、今年3回目のプレイ期間継続中。いまは散発的に妙な時と場所に出没する小物海賊をやってます。去年まで活動のメインだった週末の定例模擬は、諸事情が重なり出にくくなったこともあり休止。今回の記事は以下近況まとめなど。

▼猫で大海戦
  個人的に9ヵ月ぶりの大海戦、今回は所属する猫教団の商会艦隊で出てみました。楽しい感じの表現は商会長のブログのほうが巧いので、気が向いたら下記URLをご参照あれ↓

   教祖Blog in Notos:  http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1333.html

  全参加はきついので中日だけのつもりでしたが、意外にやる気が出て最終日も登板。千秋楽は中大旗艦で与撃沈数もトップと好き勝手にやらせてもらいました。
  毎回MVPを競うのが当たり前の脳筋艦隊に長くいたためフラストレーションが貯まるかなとも思ったのですが、ふだん模擬はしてなくても大海戦の参戦歴は長いメンバーが中核を固めていたので、驚くほど快適に旗艦業務へ専念できた感じです。もじゃさんによる下掲動画は中日の大型戦。9分40秒あたりから相手の旗艦と延々白兵が続いてじんわり涙目なgoodbyeが映ってます。全体的にいろいろ新鮮で楽しめました。

   もじゃさんによる動画: http://zoome.jp/mojas/diary/103/

▼猫が対抗戦
  先週にはセビリアのライヴァル商会“いらん子”との対抗戦も。開始の夜10時にはすでに1時間ほど寝てたのも禍いして、実は猛烈に眠くて戦闘の内容もよく覚えてなかったり。眠気防止のため無駄にたくさんチャットしてたのは覚えてます。ちなみに上記に挙げたもじゃさんはいらん子所属なので、同ページから対抗戦の動画も観られます。下記Fairy商会は別サーバの商会ですが、筆者の‘り(仮名)’さんはサーバを越えひそかに猫教団にも所属してたりします。

   猫教団Blog:    http://neko6.blog18.fc2.com/blog-entry-288.html
   教祖Blog in Notos: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1349.html
   Fairy商会ブログ:  http://fairycompany.blog64.fc2.com/blog-entry-1089.html


  続いて罰ゲームの商会宣伝。いらん子いいですよいらん子。何もいらないんですから。

▼小海賊あらわる
  2年ぶりに対人海賊をやっています。暗黒面にすべり堕ちました。上納品の実装以降はたぶん初めて。方針は概ね2年前に重なります。詳細は過去記事にて↓

   「常在戦章」:   http://goodbye.diarynote.jp/200607191718530000/

  ただし今回はかなりアバウトで、言語も気分しだいで日本語も使えば似非中国語も使ってます。ソロのイスパニア私掠という根幹は変わりませんが、時によりフランス船や複合艦隊にイスパニア船がいる場合でも襲撃対象に入れることも。詳述はしませんが以前に比べ全体の人口密度が格段に下がり、複数アカウント+複数国船籍による個人艦隊が明らかに増えたことがその主な理由で、1ヶ月ほどやってみて次第にそうなりました。
  
  2年前は収奪行為や国籍RP(敵対国を意識するRole Playing)そのものが目的でしたが、今回の関心はこのゲームの現状についての極私的思念から実際のエンカウントへと至るプロセス全体にある感じで、この影響もあって海域を隔てるような長距離移動を経ての交戦が多くなりました。ただこれをやると隣接海域の風向きを読み遠洋まで追い詰めた上でいわゆる“ログアウト逃げ”をよくされるのがご愛敬といったところでしょうか。わたしはそれ自体を達成と感じられるのでさほど不満はないのですが、収奪目的の海賊プレイヤーにはつらいだろうと思います。このあたりも遠洋での高速化の修正以降、集団化して狩りだすひとが相対的にさらに増え、ソロPK(Player Killing/Killer)が減っている原因の一つかもしれません。
  こうしたプレイ動機の変化のため、以前と異なり討伐艦隊(PKK艦隊)の相手は基本的にしなくなりましたが、これも気分次第。ソロで戦う旨宣言されたら興が乗ってしまい軽艤装でも受けて立つ可能性は高いです。いまのところPKKグループに一度、ソロ軍人さんの機雷に一度沈められてしまいました。これだけで計700万Dの賞金献上。小物海賊も楽ではありません。

  また収奪品を不要と判断した場合や、相手にとって思い入れが感じられるものだった場合その場でトレードボタンを押しています。なんだかんだで2回に1回は返してるかも。これはPKKの船を警戒する必要から説明なしにやってます。あのトレード申請は謎だったという被害者のかたがこのブログを検索してくる可能性もあるでしょうから一応書いておきます。

▼おまけのアクセス解析
  このDiary Noteには中途半端なアクセス解析機能がついていて、各種検索サイトでどのような語句を引いてこのブログに飛んできたかわかるようになってます。記事内容を反映してこのブログへは歴史・航海用語関連で訪れるかたが多いのですが、たまに物凄い検索履歴があったりします。そんななかでも最近あった超弩級のものが、冒頭のフレーズなのでした↓

   「成績不振で大会の出場が危うく、参加する為に自らの肉体を差し出す。」

  この文章でグーグルを検索してみてください。当ブログがなぜか堂々の2位にランクイン! ニフティー検索でも2位(涙)。過去にも「金髪軍人娘」や「小学生の肉奴隷」などを求めてこのブログにたどり着いたかたがいましたが、今回はそれらよりも数段上の衝撃が走りました。さっぱり意味がわかりません。差し出したこともたぶんありません。
  それから今日あったのが、「直線実長視副投影図」。これはこれでちょっぴりエッチかも。いやいやいや。
 

脚下照覧2008年10月17日 常在戦場 コメント (2)

脚下照覧
  当ブログサーバの大規模アップデートが先月行われました。それにあわせいくつか手を加えたのでご報告。
 
  このDiarynoteサーバの唯一の美点は、シーラカンスのごとく不動の旧システムを維持していることだと個人的に考えていたので、今回のアップデートは非常に余計でかつ意味不明なものに映りました。

▼リンク・目次カテゴリーの分離増設
  元々あったものを2つに分けました。計4記事。いずれも随時更新予定。

    当ブログ内の記事インデックス:  http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=9

    一般外部サイトへのリンク集:  http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=7

▼「お気に入り日記」の整理
  さいきん更新がないもの、‘大航海時代Online’と縁がないもの、相互リンクのないもの、のうちから一部を削除しました。依然多すぎる気もしますが。

  なぜ自分のブログが外されたんだ、どうしてうちのはリンクを返されないんだ、といったかたがいらしたらお知らせを。おそらく単なる見落としです。

▼その他
  ヘッダー画像やトップ画像の追加変更、一部記事のカテゴリー移動、目についた誤字訂正なども行いました。2年前に書いたプロフィール欄は手をつけないことに。

    goodbyeのプロフィール:  http://goodbye.diarynote.jp/profile/

  しかし今回のアップデート、やるにしても中途半端すぎて相当に不可解です。右カラムのレイアウトやトラックバックなどこれまであった機能が何の説明もなしに消えていたり、リンクタグ周りの仕様が一層支離滅裂になっていたり。(URLを表記しないとリンクタグを受け付けない従来の謎仕様に加え、小文字装飾などの際には一文字開けないと変換されなくなった等々) そして最も致命的に思える、事前の告知がない不定期のメンテナンスやサーバダウンが多い点には特に改善の兆しもなさそうです。
  できれば2度としないでほしい。望むのはそれだけです。やるならやるで、もっと普通に。

Job Description 15: 戦術家 【エリザベス: ゴールデン・エイジ】2008年10月2日 就職・転職 コメント (4)

Job Description 15: 戦術家 【エリザベス: ゴールデン・エイジ】
  史上名高い“アルマダの海戦”の勃発前夜から終結に到るまでをエリザベス1世の視点から描いた2007年公開の本作は、1998年製作の映画“エリザベス”の続編として構想されました。

   official web: http://www.elizabeththegoldenage.com/site/site.html
 
  まず書き付けてしまえば、この監督、この主演によって本作品が撮られたことを絶賛しないわけにはいきません。というのも前作“エリザベス”は質的に非常に高い水準を達成しながらも、今日の映画を巡る状況下では続編製作が期待されるような作品とはとても思えなかったからです。主演のケイト・ブランシェットそのひとですら、続編製作の話に対しては当初から懐疑的でした。
  しかし蓋を開けてみればどうでしょうか。個人的な好みから言えば、これほど緻密に練られたショットの連続する映画をしばらく観ていなかった気がします。印象に残るシーンがとにかく多い作品でした。

◆前作との違い
  さて、本作は主要スタッフ・キャストがほぼ前作と共通し、ストーリーも重なるため‘続編’であることは確かなのですが、全体の構成はかなり違ったものに映りました。前作が女王として戴冠するまでの陰謀劇から“よき女王(Good Queen Bess)”として君臨するに至るまでを描いた通時的なつくりであったのに対し、本作ではスペイン無敵艦隊を駆逐した“アルマダの海戦”に時制を定め、劇中で進行するすべてのエピソードが開戦の瞬間へと収斂するまとまりのある構成になっていたのです。このため前作を観ている必要がまったくない仕上がりになったと同時に、全編の流れに振れ幅の大きな抑揚が生じ、前作よりもずっと観やすくなったとも言えそうです。
  もし“歴史映画”という評価軸がありうるなら前作はまごうことなき傑作映画なのですが、その一方で一般の娯楽映画を期待する観客にとっては退屈に映るのも致し方ない面の多い作品でしたから、本作では尚更こうしたあたりに力点が置かれたのかもしれません。

◆ローリー卿と史実の再現性
  エリザベスのかたわらで全編を通じてストーリーをきっちり締めていく役柄として、本作ではウォルター・ローリー卿が新たに登場します。史実での彼はイングランドで初めて新大陸へ植民団を派遣した人物として知られ、文化人としての評価も高いのですが、劇中で彼に与えられたヒーロー的な役割はこうした背景を飾りとした、男性が主人公の一般的な冒険活劇物におけるヒロイン役に相当するものがあります。導入部では宮廷の面々を前に新大陸の文物を紹介して未知の世界を傍目に置く当時の時代背景を描き出し、中盤以降では恋愛要素を絡めて主人公のエリザベスが精神的な象徴として王国に君臨していくきっかけをも用意します。おまけに二枚目貴族のローリー自らが単身で焼き討ち船を操り無敵艦隊に突撃するシーンまで登場するのですが、これはまあご愛敬といったところでしょう。商業映画としてはありがちでも、この監督の手付きとしては明らかに異様でかつ浮いていました。
  かのフランシス・ドレイクと英国艦隊旗艦での軍議を共にするなど、クライマックスの海戦シーンにおけるローリー卿の獅子奮迅ぶりは劇場で観ていて唯一苦笑とともにやや興醒めした場面なのですが、あらためて考えるとこれだけの製作規模により撮られた作品でこの部分以外はほとんど違和感なく楽しめていたのがむしろ稀有なことに思えます。ローリー卿が女王と深い関係を築きながらも女王付きの女官を妊娠させて幽閉されるくだりなど、むしろ映画のために作られた挿話とみたほうが自然なくらいに全体のストーリーとよく馴染んでいました。

  こうした史実の再現性を巡っては、9年前の前作で徹底的にこだわった挙げ句に舞台背景が複雑になり過ぎた反省を活かしてか、素材の削ぎ落としかたにも思い切ったものがありました。
  たとえば前作での戴冠時、エリザベスは明確に「イングランド・アイルランド・及びフランスの王」という口上付きで即位しており、フランス人によるブリテン島の国家という中世イングランド王家の性格をきちんと踏まえていたのですが、スコットランドのメアリ女王とメアリの甥でエリザベスの婿候補でもあったアンジュー公とが完全にフランス語を母語とした会話を交わすシーンなども込みで、イギリス史に疎い観客にとっては恐らくかなり混乱の元となったはずです。しかし本作に登場するイングランド王朝は、まだ弱小ながらも確固としたイングランド人の意識をもった人々により運営されており、そのはじめから独立国家としてどう諸外国と渡り合うかが外交の争点として描かれました。
  こうした違いはどちらが正しいかという話よりは個々人の歴史観の問題(程度の問題)なので、結果として両作品の間にこうした点で対照的な差異が生じたことは興味深いところです。素材の吟味を経た製作の過程でたまたま筋道が分かれただけで、意図した結果ではないと思いますが。

◆監督と見どころと俳優
  ところで冒頭にも述べたように、本作は視覚的に強い印象を残すシーンが多いことでも特徴づけられる作品なのですが、この特徴の源泉として奇抜なアングルからのショットやシンボリックなオブジェの多用などが挙げられます。現存のセント・ポール寺院を使用したロケーション撮影による場面でも後代の建築部分を巧妙にかわしつつ、ものすごい独創的な位置から人物を映し出すことでそのひとの内面まで表現しきっているシーンがいくつもあり、ヴィジュアル面での見応えも存分にありました。
  このような見た目の独創性には、シェーカル・カプール監督がインド映画の出身であることも大きく関係しているはずです。単にインド出身というだけではない異質さが随所に見られるのも、欧米の製作環境とは文脈の異なる場での経験が下地にあることを知れば納得がゆくというものです。また黒澤映画っぽいシーンが幾つもあるなと思ったら、本人かなりの黒澤マニアを自負するひとらしく。

  もしこれから観るかたがいるなら、本編中に幾度も登場するイングランド王宮から覗く月影や、敵対するスペインの王フェリペ2世が眼差す蝋燭の炎の揺らめきが何を象徴しているかに注意を払いながら観ていくと、またべつの深みが味わえるはずです。
  またこの作品の核にあるのは史実の正確な再現でもなければ海戦描写の迫真性でもなく、エリザベスが抱える魂の変容していく姿だと思います。肉体的な情動やそれに由来する怒りや嫉妬といった個人的な感情が、無敵艦隊が迫るなかで音を立てて削ぎ落とされていく過程の描写は圧巻と言わざるをえません。大海戦のさなかにあって、エリザベスは文字通りの“処女王(The Virgin Queen)”として急速に覚醒していきます。ローリー卿も女王の周りに起こる様々な陰謀劇も本作品ではすべての要素がこの変容の瞬間を描くために存在していると言っても過言ではないので、この点を始めから留意して観るのも面白いかもしれません。

  さいごにキャスティングについても触れておきます。まず主演のケイト・ブランシェット。監督は彼女の演技を見て事前に考えていた演出法を幾度も変えたらしいのですが、それもそのはず。彼女がこの作品で見せる演技は、はっきり言って破格です。この名優にしてこの作品が主要な代表作として今後語り継がれるのは疑いのないところでしょう。ウォルター・ローリーを演じたクライヴ・オーウェンは、孤高の冒険者を演じてこれでもう何作品目なのでしょうか。知性と野性を兼ね備えたこの手の役柄は彼しかいないという性格俳優の地位をすっかり確立した観があります。ケイト・ブランシェット以外で前作に続いて登場する唯一の主要キャストにジェフリー・ラッシュ(“パイレーツ・オブ・カリビアン”のバルボッサ役)がいますが、彼もまた両作品で対照的な性格を見せ作品に深い余韻を与えました。“刺客の修道士”というダークな端役に前作ではダニエル・クレイグ(現在の“007”シリーズ主演)、本作ではリス・エヴァンスと渋目の大物俳優を起用しているのも両作品の見逃せないポイントになっています。

  実はこの記事シリーズでは2年前に一度前作を扱おうと考え、作品の日本公開時にあたる今年初頭には本作を記事化しようとも思い、今回が都合3回目の思いつきにしてようやく実行に漕ぎつけました。大航海時代を背景とする良作映画という当記事シリーズのテーマのどまんなかをゆく一編なので、逆に腰が重くなっていたのですね。それだけに書き切れなかったこともかつてなく多いのですが、反面‘ようやく書けたか’という慎ましやかな達成感にも今ほのかにひたっているところです。良い意味で期待を裏切ってくれた、なかなかの好作品でした。

“Elizabeth: The Golden Age” by Shekhar Kapur / Cate Blanchett, Clive Owen, Geoffrey Rush, Samantha Morton, Abbie Cornish, Rhys Ifans / Remi Adefarasin [Cinematography] / Jill Bilcock [editing] / 114min / UK, France / 2007

てのひらの温度2008年9月24日 海のなかの見えない航路 コメント (14)

てのひらの温度
先日、ひさしぶりに‘大航海時代Online’へINして、
ジェノヴァへ行った。
そうしたら、あまりのひとの少なさに驚いた。

以前なら海事艦隊の募集がたくさんあって、
海事レベルを上げたいプレイヤー向けのバザーが
数えきれないほど並んでいた酒場前の通りにも、
たった一つのバザーすら出ていなかった。
けれどもそんなふうに変わってしまったその場所で、
海事クエストを紹介してもらえる仲介人の足元に1人だけ、
まだレベルの低いプレイヤーが勧誘募集のマークを出して座っていた。

そのひととわたしのほかは見渡すかぎり誰もいないその通りで、
わたしがそのひとのレベルだった頃にはひとが多すぎて
全員が表示されないくらいに混雑していたその仲介人の立つ場所で、
そのひとは勧誘希望の握手のマークを出してぽつんと座り続けていたのだ。
わたしはそれをみて、なんだかとても切ない気持ちに駆られてしまった。

もちろんわたしがジェノヴァでレベルを上げていた頃といまとでは
ゲーム内世界の状況もかなり違うから、
その場所にひとがいなくなったことは直接に
このゲームが廃れたことを意味するわけではない。
けれどわたしが感じたその切なさは、ひとが少なくなって寂しいとか、
そのひとが可哀そうとかそういうこととはやや違うらしいということに、
ジェノヴァの港を出航してしばらくたってから気がついた。

もしその通りに誰もいなかったなら、そのことに対して
わたしはせいぜい「このゲームもひとが減ったなあ」くらいの
適当な感想を抱くだけで走り去っただろうとおもう。
けれどそこにひとが一人座っていたことで、
自分が同じように勧誘マークを出してそこにいた頃の気持ちや情景が、
それとなしによみがえってしまっていたのだ。

それは初めてネットゲームに接した頃でもあったから、
ほんとうにいろんなことが新鮮だった。
自分より立派そうな初対面のプレイヤーたちの艦隊に入れてもらったときの緊張感や、
しばらく一緒に戦ったあとフレンド登録を交わす楽しさや、
仲良くなったプレイヤーと隣同士に座ってバザーを開いて、
つくった料理を売り競いながらあれこれ冗談を言い合った時間の流れや、
この場所で初めて体験したそうした記憶たちが、
いまは自分を含めて二人しかいないその通りに
まるで幻影のようにして立ち現われていく。
それがたぶん、そのとき湧き起こってきた切なさの源だった。


少し話は変わるけれどそれより前、数ヶ月ぶりに‘大航海時代Online’へ
INした瞬間、メールが届いてますよという表示がでた。
もう2年くらい前に休止していたフレンドの一人からのもので、
送信された日付は1ヶ月ほど前になっている。

メールには、復活していろいろと楽しみにしているからよろしくという内容が、
短いけれど丁寧な言葉で綴られていた。
あまり積極的に交流の輪を広げるタイプではないけれど、
築いたつながりは大切にしてゲームを楽しんでいる感じのひとだった。
休止前、何かのときに少し話したのを覚えているけれど、
たしか主婦のかたで空いた時間にちょこちょこプレイしているとも言っていた。
見るからに、ネットゲームは‘大航海時代Online’が初めてというタイプ。

それでさっそく返事を書いたのだけれど、あろうことか届かなかった。
フレンドリストから、彼女の名前が消えていたのだ。
こうであってほしくはないなという空想が、たちまちにして脳裡をかすめた。
それは彼女の心理をめぐる、こんな感じの想像だ。
2年ぶりに復帰してみたけれど、仲の良かったフレンドは
もうほとんどINしていない。
もうそのみんなとは遊べないんだと知ると、
途端にこのゲームが色あせて見えてきた。
とりあえず1ヶ月課金してみたけれど、最初の数日遊んだだけで、
なんだか楽しいと思えなくなっちゃった。
気持ちの整理もハッキリつけたいし、キャラ、消して終わろう。

もちろん、もっと違う理由があったのかもしれない。
そうだったらいいなとおもう。
けれどもしわたしの想像が図星だったとしても、ほんとうはそれは違うのだ。
彼女が復活していた1ヶ月のあいだ、わたしは課金していなかった。
わたしが課金した頃には、彼女はもういなくなっていた。
また一緒に遊べるのが楽しみ、というメールだけを残して。
そんな感じのすれ違いはきっと、本人たちも気づかないまま
いまこの瞬間にもたくさん起き続けているんじゃないか。


ジェノヴァの広い通りの話に戻すと、
勧誘募集の握手マークを出してぽつんと座っていたそのひとには、
これからそのひとなりの体験がきっとたくさん待ち受けているはずだ。
それはわたしの体験のように
たくさんの艦隊募集に恵まれたものにはならないかもしれないけれど、
もうしばらく座って待ったあと、
もし偶然に同じ目的のプレイヤーが通りがかって
そのひとの勧誘募集に応じたなら、きっとその一つの出会いが
その二人にとってはとても大切なものに育っていくはずだとおもう。

だから一層おもうのだ。
たとえば課金を中断したプレイヤー同士でも
簡単に連絡をとり合えるような、
ちょっとした遊びくらいなら一緒にできてしまうような工夫を、
運営はもっと大胆に取り込んでもいいんじゃないかと。
いまは個々のプレイヤーが自前のブログやメッセンジャーなんかを
使った自助努力でそれを補っている状態だけれど、
それではどうしてもつながりが小規模になってしまう。

いまの‘大航海時代Online’の拡張の方向性は、
遠くに行かなければ手に入らない船の素材や、
スキルが高くないと作れない家具の追加のようにして、
総体的にいま課金しているプレイヤーをより遠くに向かわせ、
より長い時間ゲームへ縛るほうに向いている。
あるいは追加の料金を払えさえすれば、
こんなに便利なことができますよとか、
こんなに楽しい要素が増えますよ、みたいな方向性。
けれどもそれで、‘大航海時代Online’のゲーム内世界が
ほんとうに豊かになるとはあまり思えない。
個々のプレイヤーにとって、より長続きするゲームになるとも思えない。

ネットゲームは、そこで育まれたゲーム内の人格と人格とが交わる
新たなコミュニティーの形を生み出した。
それを用意したゲーム制作会社に何から何までを望むのは無理な話だけれど、
少なくない時間をかけて築かれたプレイヤー同士の心のつながりは、
プレイヤー個々人にとっては実社会のそれに違わず文字通りの財産になっていく。
少なくとも、そうなる可能性が開けている。
それを大切な要素と考えるゲーム制作会社が、
特にRPG系のネットゲームの世界では生き残っていくんじゃないか。

できれば‘大航海時代Online’には、
そういうところを大切にしたゲームであってほしいとおもう。
ひとりのプレイヤーの勝手な期待に過ぎないけれど。

 

Job Description 14: 司祭 【薔薇の名前】2008年5月13日 就職・転職 コメント (4)

Job Description 14: 司祭 【薔薇の名前】
  幼い頃にみて、強烈な印象が今も残っている映画というのは誰しもあるものだと思います。わたしの場合、“薔薇の名前”はその一つでした。恐らく周囲の大人がヴィデオかテレビ放映で観ていたとき脇にいたのだと思うけれど、まだ意味はわからなくても、とにかくオドロオドロしい世界の象徴に近いものとして以後それは心の奥底に沈澱し続けました。
  十代の終わり頃を中心とした、浴びるように映画を見続けた時期をへて最近この作品をあらためて観る機会があり、驚きました。傑作という以上の傑作だったからです。

   予告編動画(50秒): http://www.youtube.com/watch?v=CsjKsl1bY0Y

  物語は14世紀北イタリアの修道院で起きた怪事件を舞台として展開します。原作は『フーコーの振り子』でも著名な作家・哲学者のウンベルト・エーコによる同名小説。ショーン・コネリー演じる主人公のフランシスコ会修道士は、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁とのあいだで起きた清貧論争に決着をつけるため会談の場所となったこのベネディクト会修道院を訪れたのですが、修道院長からその炯眼を見込まれて数日前に起きた怪事件の原因究明を依頼されます。映画はこのようにして始まります。

   清貧論争の場面(40秒): http://www.youtube.com/watch?v=qwd4oA75JPk

  怪事件は主人公による探索開始後も連続して発生し、修道院全体が緊張と混乱に包まれるなかでアヴィニョン教皇庁からの使節団が到着、さらには異端審問官ベルナール・ギーの一行も到着して事態はどんどん複層化していきます。主人公はこの混沌のなかで、修道院の関係者ですら立ち入りが固く禁じられている巨大な文書庫の内部に事件の真相を解く鍵の気配を嗅ぎとります。そしてなんとか文書庫として使用されている城塞様の建築深部への潜入を果たすのですが、なんとそこには…。
  これから観るひとの楽しみを奪わない範囲で前半のあらすじをまとめると以上のような感じになりますが、この映画の真骨頂はその良作歴史ミステリー然としたストーリー進行にあるのではなく、むしろ背景にある作品世界の奥行と、映像化にあたって払われた繊細な努力の膨大な厚みにあるといえます。

  まがりなりにも大航海時代を謳うこの記事シリーズで14世紀前半を舞台とするこの映画をとりあげることに違和感をもつ向きがあるとしても、そこは実作品に触れてもらえれば容易に解消されるはず。というのも映画本編では多種多様な宗教/哲学上の命題が登場するのですが、それらに対する主人公の思考は徹底した合理主義に根差しており、近代人の眼を感じさせるものなのですね。
  たとえば文書庫の深奥部で、当時ヨーロッパには存在しない(=もうこの世界には存在しない)と思われていた大量の古典時代を中心とする書物群の実在を確認して彼は涙します。このようにその時代その時代を覆った人々の意識とは切り離されたところで純粋な知的感動を共有することのできる人物の眼差しをここでは‘近代人の眼’と表現しましたが、そういう人々がどの時代どの地域にも確実に存在し続けたことが人類の文明発展を考えるうえで必要不可欠の条件であることもまた確かです。この点では、日常のわたしたちが考えるたとえば“14世紀前半の欧州”とは本当は何なのかということのほうが、あらためて再考を迫られるべきなのかもしれません。あるいは“大航海時代”とは、でも良いのですが。

   異端審問の場面(1分):http://www.youtube.com/watch?v=zwMkoibG9FQ

  ここで作品中の異端審問の場面を切り取った動画もご紹介。裁かれている人物は当時カトリック教会から異端として敵視されていたドルチーノ派に属した過去を隠してこの修道院に暮していたのですが、怪事件続発の過程でその過去を暴かれてしまい裁判に至ります。首席裁判官としてここに登場するベルナール・ギーは史実上の人物で、ドルチーノ派に関する数少ない記録の一つを残した異端審問官でした。この動画では断片的だしイタリア語の吹き替えということもあっていまいち迫真性に欠けますが、短いシークエンスにおいて糾弾されることにより逆に異端教徒としての誇りを取り戻していく修道僧の演技は作品全編を通しても心に残るシーンの一つです。
  異端関連やアヴィニョン教皇庁周辺、中世における禁書の保存等についてなどを叔父貴がまとめているのでついでにご紹介。下記3つ目の記事は日本の場合になりますが、洋の東西に関わらず中世における宗教組織が果たした役割の一側面として。

  異端派と十字軍: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-96.html
  聖歌と教皇庁周辺: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-97.html
  本願寺家の禁書:http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-23.html[記事後半]


  わたしと同様に、「この作品は前に観た」という意識が働いてずっと再鑑賞する機会をもたないままでいるひとも、‘大航海時代Online’のプレイヤーにはきっと多いだろうと推測します。もしそうであれば、ぜひお薦めの一作です。公開直後の全米市場では酷評の嵐だったことが俄かには信じがたいのですが、昨今の新作映画に比して娯楽作品としてもまったく古びていない高水準の質を維持しています。ジェームズ・ホーナーの音楽も非常に効いています。(ex.予告編動画のBGM) ホーナーはこの記事シリーズで過去にとりあげた“アポカリプト”や“ニュー・ワールド”の音楽も担当しているのですが、彼がいなかったら映画音楽というジャンルの在りようは今とはまったく違ったものになっていたと思います。
  なおDVD化にあたって製作当時を振り返った監督へのインタビュー等が併録されています。撮影に際していかに困難な状況に直面していたかといった裏事情が語られて興味深いものでした。個人的には本編中に登場するゴシック教会では明らかに浮いているロマネスク以降のマリア像に関する顛末や、若き修練士を演じたクリスチャン・スレーターのヒロイン役とのラヴシーンを巡るほのぼのとしたエピソードが面白かったです。題名である“薔薇の名前”は直接的にはこの無名のヒロインとして登場する地元の貧しい娘に付されたあだ名なのですが、そこは知の巨人エーコがタイトルに使用するほどです。‘薔薇’にも‘名前’にも無量のコノテーションが含意されていることは言うまでもありません。

  エーコによる原作『薔薇の名前』は文学史上の事件といっても良いほどに出版当時の世界に衝撃を与えた作であり、通常のミステリー作品がもっているような伏線や謎かけ等とは根本的に次元の異なる超重層的な物語構造が施されているものでした。それは映画版でもよりわかりやすい形で再現されていて、あまりにも仕掛けが膨大であるためその一つ一つが観た者のその後の日常生活において思わぬ機会に明かされていく可能性を有しており、その点では一度観ておくとその後長く楽しめる一篇とも言えそうです。
  古典といわれる文学作品はいずれも読んだのち非常に長いスケールにおいて読者に意外な形で影響を及ぼし続けるものですが、まだ歴史の浅い映画という表現ジャンルにもし古典と言えるものを探すなら、きっとそれはこうした意味での芸術としての力を十全と湛えた“薔薇の名前”のような作品のことを言うのでしょう。

“The Name of the Rose” by Jean-Jacques Annaud / Sean Connery,Christian Slater,F.Murray Abraham / Bernd Eichinger [producer] / James Horner [music composer] / Umberto Eco [book author] / 128min / Germany,Italy,France,US / 1986

ひとが水に溺れるのは2008年4月19日 常在戦場 コメント (6)

ひとが水に溺れるのは
■復帰之介
  ひさしく触れてなかったこともあり、また生来の忘れっぽさもあって思いのほか見慣れない事物に囲まれている気などして、新鮮といえば実に新鮮、けれど変わりないなあといえばまったく変わりのない平凡な時間の流れに居心地の良さを覚えたり。このブログも数ヶ月ぶりに更新してみようかと前回記事の日付をみるとまだ2ヵ月しかたってなかったり。今月INしないとたぶん商会も自動退会処理の憂き目に遭うはずで、ショップの売り上げどうなるんだろうなんて頭をよぎったことも追い風となり勢いで復帰してしまったあたりなど、うまく踊らされてるなあとか心の内にうっすらと呆れ笑いも浮かべつつ、今回の記事のテーマはこんな感じで‘だらだら書く’と決めました。

■新船の心地
  といって書きたいことが格別なにかあってのことではなく、次の行に何を書くかも白紙のまま見切り発車している次第なのだけど、ゲーム内ではとりあえず週末の定例模擬に出て、バトルキャンぺーンが始まったのでそれにも出て、商会のきゅん子さんが新型船を貸してくれたのでそれも堪能してみましたというあたりで今朝にいたります。重畳。久々に接した艦隊戦の心象なんかについてはまた違うテンションに襲われるのを待つとして、休止中に方々のブログでの言及から予想していたダメダメなイメージは払拭されて、けっこう楽しい船でした、かのロイヤルフリゲート。ただ戦列艦やガレアス系に比べてTPOや技術がより求められるなと実感。乗っている本人だけでなく、艦隊メンバーも必然的に明確な戦術の変化を要求されることになりますね。つまりこの船の有無に関わらず同じ戦い方をするなら艦隊の戦力を弱める結果につながります。ロリゲっていう略称が定着していたのにはちょっとたじろいだけど。
  まあ‘ゲーム内世界’的には新出のお試し期間はすでに終わって、そのあたりを磨きだす人たちがそろそろ出始める頃合いでしょうか。正直最高耐久での模擬戦にはきつい印象をもちましたが、危険海域における遭遇戦や追撃戦、バトルキャンペーンや大海戦では活きる場面も多そうです。にしてもロリゲって、以下略。

■経験は量ではなく幅なのですの巻
  今回の復帰を後押しした大きな理由のもう1つが、先週のアップデートでの冒険経験が入りやすくなる仕様の変更で、冒険キャラなのに滅多に冒険しない病がもうずっと続いていた裏キャラにとうとうの陽の目がとか目論んでみたのだけれど、復帰して数日がたち発見したのは仮に3倍の経験値がもらえるようになったとしても、そういうことが問題じゃなかったのねという儚い現実でした。要するに、ぜんぜんやる気がプラスされていないようなのです。もともと冒険要素に惹かれてこのゲームを始めたはずなのに、久々にINしてもなおこういう心理が保持されてしまうのは、何とも不思議な事態です。
  たとえばララ・クロフトほどでなくても、もう少し冒険面で楽しめる要素の幅が増えてくれたらまた別かもなとも。このブログで東南アジア実装前に妄想したボルネオ島などでの人間以外のNPCの実装とか、その程度のささやかな追加でもけっこう変わりそうな気はするんですけどね。キツネ捕獲してペットにしちゃえるとか。いまの仕様、本来の意味での冒険感が多少なりとも得られるのは、ゲームのごく序盤だけではないでしょうか。もちろん人によりけりのことですけれど、ああでもこういう妄想の膨らみ具合は変わっていないかな、極私的な話として。ってトゥームレイダー、やったことないんですけど。

■友人簿怪談系
  フレンドリストを開いたのも数ヶ月ぶりだったわけですが、やはりひさしぶりのフレとのチャットは楽しいものですね。懐かしい友達が変わらずいてくれたという感じはリアルとまったく同じものでした。実時間的に付き合いの濃い軍人仲間より、それ以外の場面で知り合ったフレのほうがそういう楽しさは何だか大きかったです。軍人仲間だと挨拶もそこそこに戦術だの装備だのの話に突入してしまい、ひさしぶりもなにもあったものじゃありません。この脳筋どもめどもめ。
  それはそうとリストの登録数が限度の128から3ほど減っておりました。なるべく1は空けるようにしてましたから、たぶん2人ほど消えたはずなのだけど、リストをいくら眺めても誰なのかわかりません。わからないくらいだから何かの機会に登録したままその後交信がなかったひとなのだろうけど、わからないとかえってとても気になります。遠い記憶のなかでクラスメイトの一人だけがのっぺらぼうとか、そういう方向に想像をふくらませてしまうとなんだか怖いですね。時刻が早朝なせいもあり、モニターに向かっている自分の背中が妙に気になりだします。読んでいてたまらずうしろを振り向いてしまったひとがいたら、ごめんなさい。振り向かないほうが身のためです。

■スタイルの維持ってけっこう気をつかうのよの話
  いまになってこのブログの過去記事をざっと読み流してみると、なんとまあよく書いたものだよと感心してしまいます。とりわけ右欄のテーマ一覧でいう“海のなかの見えない航路”、“世界独航記”、“水の棲み処”あたりの記事には、その時でなければ書けなかったろうなと思えるような独特の緊張度を感じさせるものもあり、あまり覚えてないものなどは他人の文章のごとく楽しめてしまったり。大航海時代に縁のある映画を集めた“就職・転職”のシリーズも、数が貯まったことでそれなりに意味のある記事群になった気がします。とはいえただの映画評と言えばただの映画評なので、これについては動機の大小にかかわらず同じテイストを継続させることもできるでしょうね。
  しかし休眠状態に入って2ヵ月がたつのに、このブログのカウンターはなぜか毎日よく回っているようです。おそらく大量のログによる検索サイトからの一見さんと日記ブックマーク欄目当ての常連さんがほとんどで、記事そのものの更新を期待して来るひとはもうほとんどいないんじゃないかと思うけど、ゲームに復帰したからにはこっちも復活するかもと思うひとがいたなら放置を決め込むのも不届き千万な所業だし、きっとそういう懸念も少しあってそろそろ更新しちゃおうとぞ思います。おなかもへってきたし。というわけで、長文スタイルだけはむりやり維持したんだからねっ、と。

  人間が水に溺れるのは、重力の観念に憑かれているからだ
                                         ― マルクス・エンゲルス


ざぶーん。

Job Description 13: 軍医 【ファイナル・ソルジャー】2008年2月14日 就職・転職 コメント (3)

Job Description 13: 軍医 【ファイナル・ソルジャー】
叔父のブログが再開したようなのでその紹介から。ここのところ当ブログは半冬眠の状態に入ってますが、代わりにという感じで。

   Mamma Mia! 教授ブログ!!
        http://rainyheart.blog32.fc2.com/

  スタイルは違うけれど思考回路はほぼ一緒なので、‘さよなら航路’に頻訪いただいているかたの幾らかにはこちらも気に入ってもらえると思います。あと私事の報告になりますが、普通免許とれました>w< 技能検定、あのシチュエーションはバカみたいに緊張しますね。(笑) 
  では本題。‘大航海時代Online’拡張版の新章が来週からスタートしますね。地理面での追加実装はオセアニア一帯がメインとなるようです。それにちなんで今回はニュージーランドの映画をとりあげます。

▼リバー・クイーン
  この映画は1860年に起きたマオリ戦争の史実が舞台になっています。イギリス帝国主義の尖兵として密林に送り込まれた開拓団の隊士たちと、彼らを待ち受けるマオリ族の戦士たちのあいだで翻弄される娘が主人公。彼女も史実上の人物で、原題の‘River Queen’はマオリの側から彼女に当てられた呼称です。

  19世紀半ばといえばイギリス本国ではすでに産業革命の真っ只中ですから大局的には大航海時代とは言い難いわけですが、そこは地球の裏側の出来事です。ジェームス・クックが初めてこの周辺の海図を作成したのが18世紀後半ですから、この地域では時代を遅らせて考えたほうが妥当というケースは様々な面で見られるのですね。登場する船について言えば、河をさかのぼる小舟やタグボートには素朴な蒸気機関も使用されて始めているものの、外洋向けの大型船舶はいまだ帆走が主体という時代。マオリの人々が乗る船としてはもちろん手漕ぎの木製カヌーが多数登場します。

  本編は主人公の娘がマオリ族の青年の子供を身篭るところから始まります。彼女は開拓団に属する軍医の娘であり幼い頃から父より医術の教育を受けていたのですが、このマオリの子を宿したことと医術の素養を得たことの2点がその後の彼女の軌跡を稀有のものにしてゆきます。演じるのはサマンサ・モートン。明日から国内公開される“エリザベス:ゴールデン・エイジ”でもスコットランドのメアリー女王という極めて重要な役を演じています。エリザベス最大のライヴァルといって良い存在ですね。
  そして彼女を想うイギリス側の兵士として登場するのがかのキーファー・サザーランド。ドラマ“24”のジャック張りのアクションシーンも確かにあるのですが、日本では軍服姿の彼がライフルを構える姿がDVDジャケットに大きく描かれ、邦題も“ファイナル・ソルジャー”とあたかもサザーランド主人公の戦争アクション映画かのような印象を生む形で売り出されました。このためネットでこの映画の日本での感想を検索すると、この点の不満を書いたものばかりが挙がってきます。このことは騙し半分でも敢えてサザーランドを前面に出した売り手側の商業的手腕を結果的に証明するものとも言えるわけですが、それにしてもこの邦題の野暮ったさは異様です。
  主人公の娘をとりあうマオリ側の戦士はクリフ・カーティスが演じています。彼の名はまだあまり知られていませんが、最近そこらじゅうのハリウッド映画に脇役出演しまくっている俳優です。過去にこの記事シリーズで扱った“ファウンテン”ではスペインの南米探検隊に属する謎のイスラム剣士として登場するし、“ダイ・ハード4.0”ではFBIの指揮官としてブルース・ウィリスを牽制します(設定はたぶんアラブ系)。メキシコ人やイラク人、インド人の役も見たことあるかも。でも本人はマオリ出身であることをこの映画を通じて初めて知りました。
  実は恒例の記事タイトルに「軍医」ではなく「斥候」の語を当てようかとも考えました。娘のみごもった子がのちに斥候がやるような撹乱行為でイギリス軍を惑わせるシーンがあるためです。けれどこの子役はあまり華がなく感心できず。娘の父である軍医の役にはステファン・リー。いぶし銀の名優だけに演技の水準はキャスト陣のなかでもピカ一です。

  作品全編を通しての感想としては、原生林を舞台としたロケハンがとにかく美しく、マオリの集落や開拓団の居住区を再現したセットも非常に緻密で、それだけでも見た甲斐がありました。ただストーリーの展開はやや詩的に過ぎ、説明不足のまま流れてしまうことが徒と出ているようなシーンもそこかしこにあったのはもったいないところです。往々にして制作陣の思い入れが強すぎるとこうなります。ニュージーランド人である監督のヴィンセント・ウォードはプロデューサーとしてもハリウッドで確固たる地位にある人物のようで、だからこそ採算性はどの目にも低いこうした作品にこれだけのキャストを集められたのでしょうが、‘マオリを前面に出した作品を世界に売る’という気負いがやや出すぎた観は否めません。
  
  さて‘大航海時代Online’にもすでにマオリの人々は登場しているわけですが、彼らがゲーム内で見せている言動は感覚的に少しおかしなものに映ります。詳しくは以前の記事(2007年8月26日記事「世界独航記ノ貮」↓末尾にURL)に述べたので割愛しますが、当然ながらそう簡単にヨーロッパ人の営みに馴染んでいったわけではありません。こうしたあたりで、大航海時代のヨーロッパの人々が原住民の住む遠方の土地でどのような形で植民活動を進め、現地の人々がどのように受容していったのかに関心のあるかたには、参考になるシーンが多くある作品にもなっていると思います。
  アフリカであれアメリカであれどこであれ、白人たちは一方的な侵略行為によって既存のコミュニティを征服し破壊していっただけだろうと考えるのは簡単です。しかしそこには必ず自らの行為に疑問を抱いて行動に移した人々や、逆に植民活動を利用した原住民たちなどがおり、その展開は地域ごと・時代ごとに様々な変容を見せました。
  こうした価値観の異なる集団と集団との接触の帰結として個人個人の内面に生じる葛藤までを読み込むと大航海時代の世界を考える楽しみはぐっと深みを増すはずです。これは一見情緒的な作業のようでいて、実質的にはロジカルな枠組みの問題というかテキスト依存の形態に落とし込みやすい圏域なので、‘大航海時代Online’もいずれはそうした領域にまで踏み込める水準を目指してほしいなとは思います。 うん。妙なまとめかたですね。

“River Queen” by Vincent Ward [+scr] / Samantha Morton, Kiefer Sutherland, Cliff Curtis, Temuera Morrison, Stephen Rea / 113min / New Zealand, UK / 2005 ※本作品の国内上映館での公開はなし。一般流通はDVDのみ。
※※過去記事「世界独航記ノ貮」: http://diarynote.jp/d/75061/20070826.html

異相の傷2008年1月15日 海の庭 コメント (3)

異相の傷
▼エリザベス: ゴールデン・エイジ
  大航海時代を舞台とする新作大型映画が来月公開に。かの“アルマダの海戦”がハイライトシーンとして登場します。[左画像上半]

  公式HP: http://www.elizabeth-goldenage.jp/site/index.html


  内容的に連続する作品として、同監督・主演で10年前に製作された映画“エリザベス”があります。非常に質が高く、まだご覧になっていないかたにはお勧めの作品です。
  そして来月公開予定の本作では新たな準主人公として、クライヴ・オーウェン演ずるウォルター・ローリー卿が登場するようです。‘大航海時代Online’のプレイヤーにはこの名前にピンと来るひとも多そうですが、新大陸に最初の植民団を送った人物です。ゲーム内にはこのとき派遣された船長の一人アーサー・バローも登場しますね。[詳しくは2007年2月12日記事にて]
  ともあれ期待できる作品なだけに、公開が待ち遠しい心地です。

▼大海戦記事シリーズ終了のお知らせ
  さて久々のブログ更新になりますが、実を言うと今年に入ってからほとんど‘大航海時代Online’をプレイしていません。少し気が離れかけているのかもしれません。
  昨年の暮れはもはや恒例ともいえそうな年末大海戦に参加しました。標的港選択の投票が、たった一人のプレイヤーの行いによって覆される展開もいつも通り。これだけ多くのプレイヤーのやる気を削ぎうるような仕様の欠陥が放置されていることからみても、運営サイドにとって以前ほど大海戦が重要なイベントとしては扱われていないことが窺えます。

  さすがにこの状況ではこれまで続けてきたような報告記事を書きたいと思える魅力も感じられないので、大海戦に関する詳細をまとめる記事シリーズ(右欄‘海の庭’カテゴリー)をここでいったん終わろうと思うに至りました。もちろん現下の惨状は先月末に突然始まったことではなく、このイベント周辺の‘温度’は一昨年から昨年にかけて少しずつ下がってきたわけです。その下がり具合が自身のコミットの姿勢を変えざるを得ない一線を越えたという感じです。残念ですが、素直に諦めることにします。

▼ファンタジーアース ゼロ
  ただこのことを直接のきっかけとして、‘大航海時代Online’そのものへの接しかたまでが変化してきたことは自身でも意外でした。もとより危険海域での実戦は時間がかかりすぎて長く続ける気になれず、艦隊戦を遊ぶための定例模擬と個艦レヴェルでいろいろと試す場としてのバトル・キャンペーンくらいしか軍人キャラクターのgoodbyeを動かす機会がなくなっていましたから、その素地はできていたのかも。こうなるともうプライヴェートファームの手入れやアパルタメント改装、副官ボーナスといった毎日INさせるような機構も余計にプレイ動機を失わせるというか、わずらわしいだけのものになってくるんですよね。
  という感じを抱いてきた頃に、‘大航海時代Online’のフレンドの幾人かが別のネットゲームを始めだし、それが結構面白いというのでわたしも試してみることに。‘ファンタジーアース ゼロ’(通称FEZ)というゲームです。[上掲画像下半]

   FEZ公式HP: http://www.fezero.jp/


  これまでMMO(大規模ネットワークゲーム)は‘大航海時代Online’だけしかやったことがなく、不思議と他のMMOに関心をもつこともありませんでした。そこでどんなものかなという興味もあって始めてみたのですが、見た目はよくある狩りゲームのようにも見えるものの、FEZの対人戦システムは‘大航海時代Online’の艦隊戦システムにハマったひとに向く要素が多々あることもやっているうちにわかってきました。
  ‘大航海時代Online’でつながりのできた友人関係が、別のゲームに移るとどういう展開を見せるのかというのも関心のあったところなのですが、‘大航海時代Online’の艦隊戦で見せる個性をそのままに出して戦う知り合いもいれば、意外な一面を見せるひともおり、その点でも結構新鮮でした。

  これからちょっと試してみようかなというかたがもしいらしたら、ぜひBriah(ブリアー)サーバのエルソード国で始めてみてください。全員が‘大航海時代Online’のプレイヤーで部隊(DOLでいう商会)をつくって遊んでいます。毎日INするひとからキャラだけ作ってみたひとまで現在25名ほど在籍しています。一応キャラクターのレベルという概念もあるのですが、ほぼ初期からの対人戦参加が可能で経験値も貰え、始めて間もない低レベルプレイヤーにもきちんと一線で果たせる役割が用意されているなどよく練られたシステムになっています。
  ただ操作方法もよくわからないまま始めるととっつきにくい印象も少しあるので、その点でもまず部隊に入って1からいろいろ聞きながらやっていくのが上策です。

  ちなみにわたしのキャラクター名は‘goodluck’、部隊名は‘ロメオの心臓’です。見かけた際はお声かけを。数名の上級者のほかは全員初心者でわいわいやってます。今日1月15日から獲得経験値2倍キャンペーンなどこれから始めるかたにも嬉しいボーナス期間がしばらく続くので、この機会にぜひ一緒に遊んでみましょう。キャラの育て直しが容易なので、過去に他サーバなどでプレイしていたかたが‘ロメオの心臓’で新たにキャラを作るケースもちらほらあります。
  基本的に無料でプレイでき、課金すると‘圧倒的に強くなる’のではなく‘いろいろ手っとり早くなる’ように設定されていることもプレイヤーのスタンスに自由が利いて風通しの良さにつながっていると思います。

  それからもうプレイしているというかたは、一度FEZのBGMを消して“エリザベス:ゴールデン・エイジ”の上記公式HPに流れる音楽でプレイしてみてください。何だかいい感じです。
 
 

Job Description 12: 芸術家 【ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯】2007年12月22日 就職・転職 コメント (4)

Job Description 12: 芸術家 【ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯】
  この絵の人物、とても綺麗なかたですよね。穏やかな表情のなかにはどこか峻然とした印象もあります。瞳は一見温かみを感じさせますが、茫漠とした目線の先にあるものへの情感がそこには欠落しているようにも思えます。華奢な撫で肩を包み込むローブのひだは、触れれば音もなく形を崩しそうなほど繊細に描かれています。

  いつもとは趣向を変え、今回はいきなり脇道へ逸れてみようと思います。

▼大天使の微笑
  上掲画像(クリックすると拡大します)はレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作の一つ≪岩窟の聖母≫[1495-1508 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵]の部分図です。ダ・ヴィンチと聞いてこの絵を見れば、その頬や唇、鼻先から眉にかけての陰影などに、モナ・リザのそれを想い起こすひとも多いことでしょう。この絵の全体像は下記URLにて。

  全体図 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Leonardo_da_Vinci_027.jpg

  全体図では画面の右下に位置するこのひと、とても品の良さそうな女性に見えますが、実は女性ではありません。というよりも、誰なのかわかっていません。人間ではなく天使なのは主題や背中に描かれた翼からも確かだし、天使は基本的に両性具有なので女性でないこともまた確かなのだけど、イエスの出生と逝去を見守る大天使ガブリエルなのか、洗礼者ヨハネの守護聖人である大天使ウリエルなのか、いまだ見解が割れているんですね。
  そしてこの絵にはもう1つのヴァージョンが現存し、そちらはルーヴル美術館の大回廊に現在展示されています。映画“ダ・ヴィンチ・コード”では、聖杯伝説の核心に連なる貸金庫の鍵がこの絵の裏側に隠されていました。

  ルーヴル版 http://www.abc-people.com/data/leonardov/021.jpg

  様式論的な比較は省きますが、工房での制作過程でどちらにダ・ヴィンチ本人の筆がより多く入ったかという疑問に関しては、ルーヴル版ということでほぼ結論が出ています。日本語でこの論争について検索すると歴史学的な見地からこれに異論を唱えるサイトが上位に出てきますが、人物の顔つきだけをみても、より強い主張や繊細さが込められているのはルーヴルのほうだと感じるひとは多いでしょう。しかしこの屹立した個性のギラギラ感がロンドン版では薄められているため、当時の人々にルーヴル版よりもウケが良かったとしてもうなずける話です。たとえばこの天使の表情をとってみても、ロンドン版のほうがその相対的な凡庸さが落ち着きや優しさの情感を呼び起こしているようにも思えます。

  それはさておきこのルーヴル版には、ロンドン版にはない謎がいまだ数多く残されています。画面中の天使の指先やヨハネの持物の不在などがその代表的なものですが、実はこうした謎を残す画家の姿勢こそがダ・ヴィンチのダ・ヴィンチたる所以だったりします。何しろ宗教画とは本来、その宗教の教えを視覚化することで信仰の援けとするのが本義ですから、画家の独創による謎かけなどはあまりにも余計であり、同時代には神への冒涜とすら受け取る向きもあったでしょう。実際この絵の発注元であるフランシスコ会からルーヴル版は受け取りを拒絶され、ダ・ヴィンチ晩年のパトロンであるフランス王フランソワ1世の元に置かれたことが、現在ルーヴル美術館に展示されている由来ともなりました。
  油彩画ですから注文主から問題の指摘を受ければ上塗りすることもできたはずです。ゆえにそれをせず我を通したところが宗教画に対するその批評的視座とも相俟って、しばしば彼が‘最初の近代人’の一人とされる理由にもなっているように思います。

▼ミステリアスな生涯
  というところで、本題へ。

  レオナルド・ダ・ヴィンチといえば稀代の芸術家、万能の天才という他に、上述したような創作への姿勢に限らずどこか謎めいたイメージがつねに纏い付いています。ヨーロッパ各地を転々とした個人史にはいまだ不明な点が多く、鏡文字により遺された手記からは時代を逸脱したかのような着想の持ち主であることが窺えます。今回とりあげる“ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯”は、そうした彼の姿形に迫ったドラマ作品です。

  さて彼の名が付く映像作品としては先にも挙げた“ダ・ヴィンチ・コード”を思い浮かべるひとが今は多そうですが、そちらをハリウッドスターを起用した美術史版インディージョーンズとするなら、本作“ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯”は質実に彼の軌跡を描いた大作ドキュメンタリー・ドラマとまずは言えます。
  この作品は前回とり上げた“ホーンブロワー 海の勇者”同様、映画ではなくテレビ放映を前提に制作されています。1971年制作のため演出や効果音等に古風な趣きが多少目立ちますが、同じ制作意図で今日作られるとしても越えられそうにないほど作品の水準はしっかりとしています。監督はレナート・カステラーニ。他の映画作品ではカンヌのグランプリ、ヴェネツィアの金獅子賞を獲得している名匠ですが、このドラマ作品でもゴーデングローブ賞を獲得しました。
  
  全5話272分にわたる本編では単なる生年史と作品群の紹介にとどまらず、なぜその時その言動や作品構想に到ったのかという検証を逐一踏まえながら緻密にストーリーが進行していきます。彼の没後30年あまりたってから記されたヴァザーリの『芸術家列伝』を一応の軸として、現代の研究成果も豊富に盛り込んだ形で脚本が組まれており、彼や彼の代表作にまつわる通説のうち何が事実で何が虚構なのかが説得力をもって明かされていきます。残されたデッサンや作品構想をもととした実物大の再現作品/再現映像も数多く登場するため、百聞は一見にしかずという感じでその活動内容の広さ深さ、先見性の鋭さに改めて驚かされました。
  ダ・ヴィンチはよく知られているように自身の腕を買ってくれる諸侯を生涯渡り歩いたため、その生年史を少々知っているくらいでは周囲との人間関係が混乱しがちなのですが、本編中にはミケランジェロやラファエロ、チェーザレ・ボルジアやルドヴィーコ・スフォルツァ(ミラノ公)といった同時代人たちがたびたび登場してくるため、彼らとの関わりの実相も窺い知ることができる作品になっています。史実上の登場人物たちの作り込みに対してはそれぞれダ・ヴィンチ作品や同時代の肖像画等の画中人物に似た俳優が起用され、マニアックな見方かもしれませんがその点でも衣装ともどもなかなか凝った出来で見応えがありました。(ex.フランソワ1世の肖像画、ラファエロの自画像など)

  当時タブー視されていた死体研究を断行することによる世間との軋轢や、親戚の遺産相続を巡るスノビッシュな立ち回りなど、彼の卓越した面とは別に人間臭い側面の描写にも重点が置かれており、このバランス感覚がドラマに見た目以上の深い奥行きを与えています。季節はこれから冬本番となりますが、年暮れのせわしなさを離れて束の間のくつろぎを味わいたいかたになど、おすすめです。

"La Vita di Leonardo Da Vinci" by Renato Castellani / Philippe Leroy, Giulio Bosetti, Ann Odessa / 272min [5 episodes] / Spain, Italy / 1971

王朝のゆくえ2007年12月16日 常在戦場 コメント (5)

王朝のゆくえ
  ‘大航海時代Online’の拡張版‘Cruz del Sur’の第2章が幕を開けました。今回はその周辺で空想にうつつを抜かしてみます。
  世界周航路開通等のあった第1章がゲームに地理的な広がりを加えたとすれば、第2章‘Special Ornaments’はペットやアパルタメントの用途増など選択肢の厚みを充実させる拡張とまずは言えそうですね。

▼‘日本実装’と‘Special Ornaments’
  少し突飛な小見出しですが、‘日本はいつ実装されるのか’というこのゲームのプレイヤーなら誰しも抱いたことのあるだろう疑問と今回のアップデートとの間には、けっこう深いつながりがあるように思えます。

  というのも思うに現時点では、多くのプレイヤーがこのゲームに対し新たな要素の漸次的な投入を前提としてプレイを続けているからです。極端な例を挙げますがオセロや将棋、ルービックキューブやテトリスが好きで、そこに新要素の追加を望むひとは少ないでしょう。つまり遊びの道具として、多くのひとが恒常的に楽しめる内容に‘大航海時代Online’はまだなっていない。
  MMO(大規模ネットワークゲーム)とはそういうものというクリシェを脇に措けば≪※下記注≫、‘大航海時代Online’の場合このまま日本実装を迎えてしまうことは、ゲーム内世界の不可逆的な衰退の起点を自ら作ることになりかねない。なぜなら他のMMOと異なりこのゲームは実世界を一応のモデルとするため、現状では紛れもなく拡張時の最大の売りの1つであるゲーム内世界の‘地理的な拡張’が、日本実装時にはほぼ限界となってしまうからです。あとには極地航路の開通くらいしか残りません。
  よって‘地理的な拡張’を終えることがユーザーのプレイ動機に与える影響は小さいと運営側が判断できるほどにゲーム内容の充実もしくは地理的な側面以外での拡張方針の確立がない限り、‘日本実装’はない、というのがわたしの見方です。

  そしてこの‘地理的な側面以外での拡張’という点で、これまでとは若干色合いの異なって見える今回のアップデート‘Special Ornaments’のような方向性は重要になってくるのですね。しかしこの内容を第1章にもってくるのでは拡張版の売れ行きに響きかねないし、同様に第3章に置くと尻すぼみ感を生みかねません。師走の空気とクリスマスの気分が街にも溢れるこの時期に第2章として行ってしまうのが、長期的にも意義が大きいとすればその理由はこのあたりにありそうです。直近の4Gamersでの開発者インタビューなどで第3章の比較的早い実装がほのめかされているのも私見で言えばこのためということに。

  日本に限らず新海域の実装時期は‘大航海時代Online’における最大の謎としたい開発サイドの意向が公式HPにて示されていますが、シナリオとしては描いていても具体的な時期確定はいまだできていないのが真相のような気もします。とくに‘日本実装’については、わたしと似たような推測を抱いているユーザーも少なくないのではないでしょうか。
  ただこういうことを考えたときに毎度気になるのは、打ち出される運営方針に内向きの姿勢をつねに感じることなんですよね。以前にも書きましたが、いま想定されるパイのなかでどう魅力を付加するかに神経を払っているのは分かるのだけれど、パイそのものを広げる努力をゲーム内容の拡張から感じることはあまりありません。この面では売りかたがより重要なのも確かですが、内容が伴わなければプレイヤーとして定着しませんから結局は中身ありきなんですよね。もちろん現状維持で自足できるならそれも良いのですが、ともあれ‘日本実装’が‘終わりの始まり’にならない道を歩んでほしいと願います。

※注:MMOを巡る一般論に広げることが文脈的に意味を持たない、の意。先月末の海外接続アカウント取り消し騒ぎでも見られた傾向だが、一見視野を広くとるかのような正論が陥りがちなフレームアウトゆえの議論の抽象化とも。

▼‘オスマントルコ実装’と‘アユタヤの謎’
  ‘Cruz del Sur’実装を機に更新された公式HPや4Gamersの開発者インタビューなどで、プレイ可能な国籍としてのオスマントルコ追加に関する言及をしばしば目にしたことも意外でした。わたし自身かつてオスマン帝国が実装された場合の仕様などを妄想もしましたしこの話は大歓迎なのですが、具体的な検討に入ったかのような言葉がこのタイミングで出てくるのは予想外だったのですね。[オスマン関連記事は下記URL↓]

    麾下の破軍 http://diarynote.jp/d/75061/20070209.html

  東アジアと南北アメリカの沿岸以外は一応の実装が済んだ現在にあっても、領地港がありながらプレイヤーが本拠地に選べないなど、‘大航海時代Online’におけるオスマントルコの扱いは特別です。史実のこの時代において独立した交易国は他にも多々あったにも関わらず、オスマントルコのみがそうした‘格’を与えられた理由の第一としては、大航海時代を通じて西欧列強以外で影響力の大きな特定の港を維持し続けたのが近隣ではほぼオスマントルコだけということが考えられます。それはまたインドに覇したムガール帝国やヴェネツィアと競った商都市国家ジェノヴァ、アシャンティやインカアステカ、明清など各大陸の雄のいずれもが為しえなかったことでした。
  それに対してオスマントルコはコロンブスによる新大陸‘発見’の40年前に陥落させたコンスタンティノープルをイスタンブールとして以降、よく知られているように20世紀の無血革命に至るまでの実に500年ものあいだ、まったき帝都として存続させました。大航海時代に端を発した植民地政策を推進する西欧の列強諸国にとって、オスマン帝国はそうして征服の叶わぬ最大の対抗者であり続けたわけですから、‘大航海時代Online’においてこの国籍をプレイできるようになる可能性が、多くのプレイヤーにとり魅惑的に映るのも当然と言ってよいでしょう。

  ただ、このように大航海時代の数百年間に自国の独立と領地港の維持を全うした国というのは、他にも少なからずあるのですね。アユタヤ王朝や日本(主に徳川幕府)などはその代表的なものといって良いでしょう。アユタヤ王朝は結果的に列強間の対立を巧妙に利用する形で生存を貫きましたし、戦国時代に急進的な発達を遂げた日本の軍事動員力は現実的にこの時期の列強が手に負えるものではなかったことも近年の研究で確認されています。こうした東アジア海域での独立国との衝突による戦艦の喪失がアルマダの海戦を戦った英西どちらの陣容にも少なくない影響を与えた事例などを考え併せても、‘大航海時代Online’の今後を占う上で彼らは決して無視できない要素だと言えそうです。
  とりわけアユタヤ王朝の存在は、すでに現時点における‘大航海時代Online’の交易港の分布にも決定的な影響を与えたとわたしは考えています。端的に言えば交易港ロッブリーの扱いがそれに当たります。東南アジアの実装前、わたしはこの場所に新港アユタヤが実装されると予想していました。[新港予想記事は下記URL↓]

    鈍の月映え http://diarynote.jp/d/75061/20070228.html

  けれども現に実装されたのはロッブリーだったわけです。この都、列強の戦略的な支援によりアユタヤの副都として建てられた経緯があるのですが、本来はシャム湾の最奥、チャオプラヤ川を遡った現バンコクの北に位置するアユタヤよりもさらに北方にあるのですね。そして首都はあくまでアユタヤであり続けたことを考えると、アユタヤではなくロッブリーが実装された理由もおぼろげに見えてくる気がします。つまり、西洋列強の国旗がひるがえる港としてアユタヤを実装することはさすがにできない、という開発側の決断をそこに見るわけです。

  そしてこの原理を起点にさらなる深読みを重ねれば、2つの妄想が可能となります。1つはアユタヤがいずれ別の形で実装されるかも、という妄想。たとえばテノチティトランのような独立した街として。現代でも有名な観光地となっているように、ヴィジュアル的に非常に映えるこの街を看過しておくのはもったいないというだけの理由ですが。
  残る1つは、もしオスマントルコがプレイ可能になる日が来るならば、同じ理屈で日本がプレイ可能な国となる道筋ができるかも、という妄想。ただし上述のごとく日本の実装は現状ないというのが私的結論になるため、これはもうかなり別世界の話になりますけれど。(笑)

▽画像とおまけ
  今回はアップデート各要素への言及の代わりに、一見無関係に思える2要素を結びつけて考えるという試みをしてみましたが、きっと誰の目にも強引に映ったと思います。ただ同時に‘if-もしも’はコーエーが長年お家芸にしてきた手法ですから、こういう方向性もありかなとも思います。画像はわたしのペット‘もっち’です、以後よろしゅう。以下おまけ。

   やっちゃった! http://popoloerrante.blog26.fc2.com/blog-entry-391.html

現在開催中の公式イベント“聖ニコラウス祭”での粗相(?)についてのルクレ嬢によるツッコミです。実はこのイベント、わたしも公式HPでの告知文中に「…アムステルダムには従者を伴った司教様が訪れ、神々の教えを説いたり、子供たちにお菓子を配ったりと…」という記述を見つけ、あれまあと思っていたんですね。この時代のアムステルダムには東洋人の居住区もあったようだし神々を崇める人物がいるのはいいのですが、司教がそれを説いたら命の保証はないでしょう。

もちろんカトリックではあり得ない文言が意図的に盛り込まれたと考えられなくはありません。ですがこれらが運営方針とは無縁の単なるテキスト上のミステイクだとすれば、冒険クエストにもよくある微妙な言及ともども、そこらへんの22-3歳の大学院生を雇ってチェックを入れさせれば簡単に直せることのはずなんですよね。優秀な学生ほど他人の論文の手直しやら文字起こしやら翻訳やらを無給薄給で日々こなしていますから、常人には信じがたい量と質を一人で達成してしまえます。ユーザーの民度をアンケートや公式掲示板から測る限りはそんな必要を感じることも皆無なのかもしれません。しかしもの言わぬユーザーこそが最大多派なのもまた確かです。これは‘パイそのものを広げる努力’(上述)にも重なるのですが、大人向けのゲームとして裾野を広げる気があるのなら、こうしたあたりに注意を払うのは意外に効く気がするのです。

 
 

ラフロータ杯 in Notos 後記2007年12月11日 常在戦場 コメント (5)

ラフロータ杯 in Notos 後記
半年ぶりの模擬戦大会、楽しませていただきました。以下ご報告。

 ラフロータカップ in N鯖 公式結果一覧:
  http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-46.html
  ※左掲画像の素材も上記HPから拝借いたしました。

  画像中の青い線は前回記事での予想的中、赤い線はハズレた箇所を指します。

▼goodbyeな軌跡。
  で、紫の線は自艦隊。準々決勝敗退となりました。さいごは相手もびっくりしたんじゃないかというくらい、普段でもあまりやらない沈みかたで各々沈んでいきました。goodbyeは自艦隊で3隻目の被撃沈艦となったのですが、一瞬の躊躇がそのまま白兵中の船体にぶつかって船尾を相手に差し向ける最悪の形で出てしまい、途方もなくマヌケな沈みかたに無念を通り越してしばし呆気にとられハイさようならという感じ。

  週末の定例模擬でもこういう戦闘は確かに稀にあるのですが、その‘稀’が一番してはいけない場面で味方に揃って出た展開。逆に言うとそこを確実に突いてきた相手Schwarz艦隊のみなさんが予想以上に上手かった。カロネード多用、砲術家、斥候、フィリバスタがいて通常弾防御も混ぜるという、他には見ないけれど後から振り返ればかなりバランスの良い構成を採っていた点も感心しました。その後もSchwarz艦隊は、前回記事で優勝候補の一つとしたSea Anemoneを撃破、決勝まで進んで本大会の台風の目となった観があります。

  正直な話、わたしの艦隊は2回戦での特攻野郎A艦隊との戦闘に精力を注いでいたため少し気が途切れていた印象も否めず、みな判断の精度にブレがありました。これはとても悔やまれるところです。自分が沈まなければまだ行けたはず、とは恐らく3回戦で沈んだ味方4人のいずれもが思っているところでしょう。まだまだやれることはありますね。

▼優勝艦隊の奇妙な秘密、大会MVPと決勝戦。
  優勝艦隊は“あばちょと奇妙な実艦隊”。予想も当たりました。旗艦のabbacchioさんが焼き討ちスキルを搭載していた点を非難する向きがあったらしくちょっと驚いたのですが、では他の艦隊がそれをしなかったのは‘敢えて自重していた’からなのか、と考えればその非難が的外れなことは明白だとわたしには思えます。
  艦隊自体が十分に強くなければ、純粋に勝ちに行く戦術検討の帰結として焼き討ちスキルを混ぜるような真似はできないのですよね。ふつう、旗艦の装甲戦列艦であれば耐砲撃装甲や排水ポンプが付けるのが妥当です。準決勝以降が殲滅方式とはいえ、それを付けないリスクを敢えて侵せたのはこの艦隊の実力を前提として初めて成り立つ判断でした。

  今だから明かしてしまえば、実はこういう‘遊び’の余地を持てたのが、この艦隊の何よりの強みだったりします。abbacchioさんは他にも特大ラムを装備し、守備衛生隊で臨むなど本大会を通じてオンリーワンの選択をしていましたし、白兵役のガルノルトさんは相手に応じて重ガレアスとラ・ロワイヤルの使い分けが可能です。機雷役による特大ラム装備は接舷回避による被打撃増大のリスクを呼びますが、それを凌げれば機雷による与ダメージ機会の増加や衝角攻撃そのものによるコンボ打撃が読み込めます。一長一短あるガレアス級の船種選択と同様、いずれも一見微細な差異ですが積み重なると艦隊全体にとって大きな強みになる‘仕掛け’なんですよね。
  焼き討ちスキルの搭載もこれらと相互に密接にリンクした‘仕掛け’の一部であったからこそ初めて有効となったわけで、現状では他艦隊がたやすく真似できるものではないとする理由もここにあります。まあただ、できると自認する艦隊がもし他にあれば相手として面白いので、ぜひ実行してほしいとは思います。可能性だけを言うなら誰にでもあるのは当然なので。

  特に大会MVPに選ばれたガルノルトさんについては、この一年あまりを通じて常にガレアス級の船種による艦隊戦術を磨いてきたのを間近で見てきたのでよく分かります。最初の頃はハマれば強いけれど外れると艦隊の弱点でしかなかったのですが、これは現在ガレアス級に乗ってくるほとんどのプレイヤーに対しては依然言えることなんですね。この一年の研鑽を通じてその水準から飛び抜けたことが彼の強みであり、彼がいてこそ成り立つ戦術として、上記に述べたような諸要素の総合である比類なき‘敵艦隊の支援量への圧迫力’が生まれたわけです。これが前回記事にて優勝候補筆頭とした理由の第一でした。
  そしてこの艦隊に勝つためには、まさにこの点を総合的に把握することが重要だったわけなんですが、それが一番できたのはgoodbyeのいる艦隊だっただったけに、やはり決勝で戦ってみたかったと改めて悔やまれます。従ってこの優勝艦隊による搭載能力の選択をトータルで批判するならまだしも、焼き討ちのみを取り出して非難するのは完全に視野狭窄ということになります。(ちなみにこの非難の源となったらしいかたのブログでは、必ずしもそうした意図による発言ではない旨が後付けされています)
 
  決勝戦は両者一隻ずつ減っていく激戦となったものの、最後は文字通り支援量への攻撃によって勝負が決まりました。機雷による被ダメージに対する修理と、白兵に対する外科支援によってSchwarz艦隊の動きが鈍くなったところを撃ち抜いていく展開となり、3vs3となって以降はSchwarz側の支援役となった外周に張るカロネード搭載艦が焼き討ち効果で水を切らしたため被拿捕艦、全体の修理量が下がっため被撃沈艦と相次いで白旗が上がる展開に。
  
▼予想外です。
  前回記事での予想を外した画像中の赤線部分、Schwarz艦隊の躍進については上述したので、他の3箇所について。
  青帆艦隊が巣鴨艦隊を破った戦いは観戦したのですが、外周カロネード艦と白兵艦の相対的な撃たれ弱さという巣鴨艦隊最大の弱点をきっちり摘みとっていく展開は周到でした。続く対Sea Anemone戦においても一度は5:3まで持ち込んだのですが、この大会ルール下ではそこで亀になりさえすれば物資の差や制限時間の問題から相手がボロを出さざるをえないところを、なぜか潰しに出たことが仇となりました。青帆の売りは堅実さにあるというのがわたしの認識だったので、1回戦はそのものの戦闘に拍手、2回戦は非常に惜しまれる展開でした。

  A.F.O.Kの準決勝進出については、前回記事で「最初の一隻を落とせれば脈あり」とした通りになったようです。艦隊錬度に問題ありと見ていたのですが個艦レヴェルでの力量は確かですから、この艦隊が優勢に立つとそうそう逆転できるものではありません。
  もう一つは名前が決まりませんでした艦隊の不振についてですが、実はここが一番予想が外れそうだとは思っていました。このメンバー中心の艦隊と最近幾度か戦った際に、以前に比べ格段に撃たれ弱くなっていることが気になってたんですね。けれどもキミミ団の勝ち抜けはそれを考慮に入れてもやはり予想外、ネットラジオの出演者もいらしたようで、素直に健闘を讃えたいと思います。
  ここまで書いてきて気づいたのですが、予想を外して勝ち進む艦隊はだいたい団体内で独自の研鑽を積んでいたり、goodbyeが参加することのないイングランド模擬で強くなってきた艦隊に多いようです。ポルトガルやフランスの模擬はイスパニア模擬と合流することがあるので、次の機会があればこの点も留意しておきたいところです。

▼おわりに。
  実はgoodbye個人にとって、この大会は初めて予選リーグ敗退や1回戦敗退ではない形で勝ち進めたイベントでもありました。さいごに自戒の意味でもう一度書き付けておけば、不甲斐ない終わりかたをしてしまった最大の原因はやはり精神的なものだったと改めて思えます。硬くなってました。省みると、待ち時間中の些細な作業も含め、ふだんはやっていることを色々としてなかったことに気づきます。こういう場で平常心で戦えるためにはやはり、それなりの裏付けを築き上げておく必要もあるんだなあと、今後への課題も見つかる機会となりました。リアルでは本番に強いほうなんですけどね(笑)。

  というわけで、大会そのものは3時間ほどで終了するコンパクトなものでしたが、個人的にとても楽しませていただきました。運営のみなさん、ありがとうございました。そして出場したみなさん、支援や観戦など何らかの形で関わっていたみなさん、おつかれさまでした。
  それからネットラジオの中継、ゼフィロスサーバのキャロルさんというかたメインの放送でした。深みのある声がとても良かった(笑)。わたしは普段このゲームをしているとき常に他の映像や音声を付けているため、DOL系のネットラジオはほとんど聞かないのですが、臨場感があって面白かったです。こちらに出演されたみなさんもおつかれさまでした。
  こういう企画、やはり半年に1度ではもったいないですね。今後も企画されるようでしたら、協力できることはぜひいたしたく。出場者の立場はたぶん譲れませんけれど(笑)。

ラフロータ杯 in Notos 前夜2007年12月8日 常在戦場 コメント (5)

ラフロータ杯 in Notos 前夜
大会前日となりました。予告通りトーナメント予想を。

 ラフロータカップ in N鯖:
  http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-44.html
  ※左掲画像の材料もこちらからお借りしました。ココさん快諾感謝です。

  goodbyeは“Un bien de Sevilla”に所属しています。当初自艦隊が優勝するトーナメント予想図を描いてみたのですが、絵としてあまりに面白味がなかったので画像のようになりました。いずれも他の艦隊と同じ目線で自艦隊を評価する意義は小さいという感覚に基づくものですが、結果として明日は初戦敗退の図を一戦一戦覆していく展開になりました。なるのです。

  半月前の予想記事を書いた時点から、艦隊の陣容変更やこの間の錬成具合により各艦隊への見方も若干変わったので、それらも交えて以下改めて大会予想、最終版です。

▼まず優勝候補艦隊。

 1. あばちょと奇妙な実 敵艦隊の支援量に対する圧迫力は他に真似しがたいものあり
 2. Sea Anemone 思った通りKASさん加入。前回大会初戦敗退の悪夢を振りきれるか
 3. ELVE艦隊  攻守のバランス感覚に抜群。常に手堅い形を維持できる
 4. 特攻野郎A艦隊 正体はEurosサーバ大会の優勝艦隊メインな構成らしく…おそるべし

  これに自艦隊を加えた5者が私的予想における最終的な優勝候補艦隊です。ELVE艦隊と半月前の記事ではここに含めていた巣鴨艦隊に関して評価順位を下げた形になりますが、これは両艦隊への見方が変わったからではなく、奇妙な実/Sea. A/特攻Aの3艦隊について大幅に評価が上がったためのものです。いずれも平日夜の無制限模擬開催などを通じこの2週間での錬成ぶりが予想以上の様子で、また後2艦隊についてはメンバー変更や直接戦った上での情報入手等を通し評価の基盤そのものが変わりました。

▼次にブロック予想。
  準決勝出場枠に当たるA〜Dブロックをもう一段階分けて予想してみます。各艦隊のメンバー構成は下記大会公式記事コメント欄にて。↓
   http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-38.html

A-1: 頭文字D 
  ある意味もっともストーリーのある小ブロック
  英PK艦隊に葡PK2艦隊が各個撃破されそうだが、自他の戦力を精査する機会に
A-2: Sea Anemone
  青帆艦隊は目的別の特化型訓練を長く続けているらしく、陣容に関わらず質実
  注目は巣鴨艦隊。連携に優れた青帆と個艦能力の揃ったSea A.にどう張るか

Aブロック勝ち抜け: Sea Anemone
  頭文字Dは癖のある艦隊運動をSea A.につかまれると苦しい
  局所的な数的劣位が生じD側に最初の被撃沈艦、そこから崩れ落ちる展開が濃厚

B-1: Schwarz艦隊
  攻守に手堅いみるきさん、撃沈センスのあるmoopさんなどSchwarz艦隊がリード
  メタボ艦隊スレイン・スターシーカーさん、ELPE艦隊えみぃ☆さんの爆発が勝敗の分水嶺
B-2: Un bien de Sevilla
  goodbyeもがんばらなきゃいけない小ブロック
  かつてMGM艦隊のギレンさん、雷鳴静寂さんに私淑したところ大ゆえ恩返しの機会に
  特攻野郎A艦隊は上述のごとく大会の戦いかたを一番熟知した艦隊…おそるべし

Bブロック勝ち抜け: Un bien de Sevilla
  画像では初戦敗退としてますが勝ち抜けます。なにいってんだ自分。

C-1: ELVE艦隊
  艦隊の総合力ではELVE。同国旗の蒼龍艦隊にはつらい戦闘が待ってそう
  とりまる2900の個艦レヴェルでの打撃力はELVEと張るため、予想が覆る可能性も大
C-2: A.F.O.K
  東方不敗、ELBEともに粒揃いではあるものの、撃たれ強さの点でA.F.O.K

Cブロック勝ち抜け: ELVE艦隊
  艦隊錬度においてELVEに利があるものの、A.F.O.Kが最初の一隻を落とせれば脈あり

D-1: 名前が決まりませんでした艦隊
  前回大会(NCC)で準決勝まで進んだ実績のあるEndless Voyageの突破力に期待
D-2: あばちょと奇妙な実
  gangstar、エーゲ艦隊ともにベテラン揃い。特にgangstarは直近の戦力UPも目覚ましい
  が、本大会の交戦ルール下では奇妙な実の優勢は圧倒的

Dブロック勝ち抜け: あばちょと奇妙な実
  名前が決ま〜艦隊が伝来の粘り腰をどれだけ見せられるかで決まるブロック

▼そして準決勝/決勝とか。
  準決勝以降に関しては、先に挙げた優勝候補5者のうち当日のコンディション[各自の回線状況/体調/家庭環境(笑)等]にトータルで優れた艦隊が勝ち抜け、優勝するでしょう。準決勝から戦闘形式が殲滅方式へと変わること[詳細は大会公式HP参照]も驚愕の展開をもたらすポイントになってきそう。

  とはいえリーグ戦と異なり一戦勝ち抜けのトーナメント形式には波乱が付きものなので、どこが意外な躍進を見せるのかも非常に楽しみなところです。特に巣鴨艦隊、とりまる2900の準決勝進出や、東方不敗、E. Voyageの準々決勝進出はとてもありそうな気がします。

▼さいごに予想雑感。
  斥候による機雷使い1隻と、重ガレアスまたはロワイヤルによる白兵屋1隻を含めた艦隊構成が脅威とされる昨今にあって、優勝候補に挙げた5者のうち実に3者が機雷優遇職不在、4者が装甲戦列艦+戦列艦のみのいわばクラシックスタイルをとる艦隊になったことは、予想した自身でも少し意外でした。
  とはいえ現状5vs5の艦隊戦において機雷+白兵による圧迫が非常に有効なのは確かですから、この2年半プレイヤーのあいだで培われてきた戦列艦メインの戦術に、新しい戦術の熟成がまだまだ追いつけていないということなのかもしれません。

  以上です。もし賭けクジのTOTOみたいな企画があれば、皮算用の材料にでもお役立てあれ。ただしその結果大枚をなくしても責任は各自で(笑)。というかあれです、トーナメント予想図とか、自分からハズレにしていく前提で描いてますしね。いつもの戦いかたを十全と維持さえできれば、自分の艦隊は問題なく優勝できる力量があると感じています。

 

処分終縁2007年12月5日 常在戦場 コメント (15)

処分終縁
  先週の半ば、‘大航海時代Online’の公式HPにおいて海外からの不正接続アカウントについて利用資格取り消し等の処分告知が為されました。類似の処分は過去にも幾度か実施されてきましたが、今回の実施はその内容や規模から処分に該当しないプレイヤーの間でもその後ちょっとした波紋を呼びました。今回はこの件について。

▼概要
  まず公式HPの告知文を念のため挙げておきます↓
  http://www.gamecity.ne.jp/dol/news/important/body_230.htm

  これに関するプレイヤー間の議論の一例として、教祖ブログのエントリーを以下に↓
    ?提起: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1060.html
    ?検討: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1061.html
    ?発案: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1062.html


  この問題に触れているプレイヤーブログは他にも多々ありますが、コメント欄も含めた上記3エントリーにおいて議論の沿革はおおよそ示されていると思います。
  また公式掲示板[http://www.gamecity.ne.jp/dol/bbs/index.htm]でもより盛んな議論が交わされていますが、‘この場所であれば運営サイドの目に留まる可能性がある’という意識が影響するのか常に論点が曖昧なまま維持されがちで、上記?のコメント欄同様の議論の飽和が早々に起きている印象があります。

▼何が本当の問題なのか
  上記に挙げた教祖ブログでの反応で顕著なタイプの一つに、ブログ著者の‘抗議’を今回の措置の撤回を要求したものと短絡させた上で、運営側への賛否や支持不支持を表明する類のものがあります。規約通りの処分なんだから云々とか、大所高所からMMOというのはそういうものだと諭す種の書き込みもそれに相当しますが、これらは発想の前提において問題としているポイントがブログ著者とズレている(と思える)ため、わたしの目にはとても無意味なスレ違いを生じさせているように思います。

  こうしたやりとりを読み流してわかったのは、今回の処分が少なくないプレイヤーの間で議論紛糾の元となっている原因の核は複数あるため、そのうちの何を焦眉の懸案と捉えるのかによって感じかたや反応の色合いが変わってくる‘らしい’ということです。したがって恐らくこの件を考える際にまず把握すべきなのは、問題は一つではない、と理解することだと思います。処分単体でのRMT撲滅への実効性の有無や、プレイヤー個々の賛否は重みや眼差す角度の違いこそあれいずれも問題の一端に過ぎません。
  ですからこの点への配慮を欠いたまま投じられる匿名の吐き捨てコメントによって議論が飽和してしまう(というか全体が希薄化し読みづらくなる)のは残念なことですね。goodbye個人の直接的な感想は、上記?コメント欄の6つ目の書き込みに集約されるので興味のあるかたはご参照ください。以下はそれより一歩引いた立場での私見になります。

▼私見と雑感
  わたしの知り合いにも海外から接続しているプレイヤーは幾人かいます。そのなかには規約の存在を承知のうえで突発的なアカウントの停止を覚悟しつつプレイを楽しんでいるひとや、海外接続でプレイしても良いかと運営にきちんと問い合わせをした上で長くプレイし続けているひともいます。どうやら一様に今回の処分を免れているようですが、彼らとの交流等を通して今回の件に関し極私的に最も問題だと感じているのは、処分そのものの結果ではなくそのやり方にあります。
  自身は海外から接続した過去もする予定もなく、また処分を受けた友人がいるわけでもないにも関わらず、今回の処分に憤りや違和感、心の痛みを覚えたプレイヤーのいくらかは、わたしと似たような見方を持っているのではないでしょうか。つまり冒頭に挙げた公式HP内の告知文中にあるような「プレイヤーの皆様に安心して楽しくプレイしていただけるゲームとなるよう」な手段として、今回の措置はよく配慮されたものだったのかという観点です。

  ここで今回処分の対象となったプレイヤーの直の声を少し紹介します↓
  http://sawatarihonoka.blog23.fc2.com/blog-entry-24.html

  沢渡ほのかさんという在香港のプレイヤーによるものです。“The end of the world”と題されたこの文章、前半部分では処分対象者の立場から今回の措置に対する不満がごく直接的に述べられています。が、大枠としてはすでに挙げた教祖ブログでの議論を出るものではありません。
  この記事で特に目を引いたのは後半部分の青字および赤字で強調された箇所だったので、以下そのあたりをメインに意訳します。

−−−記事タイトルにもあるように、今回の件は私にとってこのゲーム世界の終わりを意味しています。誰もが分かっている通り、光栄が私たち海外プレイヤーへの処分を撤回する可能性は0.1%もないでしょう。

しかしここで私が言いたいのは、今回の光栄のやり方はあまりに横暴ではないかということです。海外からの接続という規約違反を犯していたことは確かです。ですがそれを理由に処分を加えるのに、事前の警告がまったくなかったことを言っています。光栄にその法的義務がある否かということではなく、会社の姿勢としてどうなのか。少なくとも1ヵ月前の警告さえあれば、処分停止を覚悟でプレイを続けることもそこで課金を止めることもできたはずなのに、私の場合は"Cruz del Sur"へのアップデートと翌月分の支払いをした直後にこの処分を受けてしまいました。

契約とはその文面の如何に関わらず、本来双方向的な原理を持つものです。光栄側が私たち海外接続のプレイヤーからも支払いを受け取ってきたこともまた、この原理に照らせば私たちが行っていたことと同様に契約内容を逸脱した行為なのです。もし光栄がこの契約の原理をも遵守するなら、最初から私たちの支払いを受け入れるべきではなかった。その時点で光栄もまた契約不履行であったと言えるのです。この点が看過されたまま、2年ものあいだ提供し続けてきたサービスを、一方的に突然止めて良いはずがありません。

ですからサービス受容者の利益を考えるうえで、光栄による今回の処分は決してフェアなものでも正しいものでもありません。にも関わらず、日本の慣習法では良しとされてしまうのでしょうか。−−−


  わたし(goodbye)は沢渡さんの訴えに全面的に同意できるわけではありません。たとえば彼女が12月2日に挙げている嘆願書の記事などは、処分対象者ではないプレイヤーへの呼びかけ方に明確な違和感を覚えるため、この面での支援行動を採ろうとは思いません。ただ今回の件を考えるにあたって、彼女の上述記事での訴えには日本のプレイヤーも耳を傾けて良い部分が大いにあると判断したため、拙訳を試みこの場で紹介することにしました。

  というのも、いささか急ぎ足にも思えるこの処分をなぜこのタイミングで?ということを考えると、公式HPでの告知文には表出されていない外部的な要因が何かしらあると考えざるをえないのですね。すでに挙げた教祖ブログへのわたしのコメントでも述べた‘他国サーバの運営からの要望では?’というのは半ば茶々ですが、他にも例えばアメリカではMMO内での財産についてその所有権等の法的整備が現実に進んでいると聞きます。この流れは不可逆でしょうから、のちのち問題と‘なりそう’な根はできるだけ早く摘んでおくに越したことはない、という判断の所在等を深読みもできます。
  上記意訳部分のとりわけ後半に関しては、本文中に"In Europe,"の語があるようにこのブログ著者のロンドンでの在住経験を通して身についたバランス感覚に基づく主張のようです。記事末尾の"customer’s law"が文字通りの消費者に関する商法関連を指さずもし文意的に"custom’s law"つまり慣習法(正しくは"common law")を指しているなら、彼女の指摘はわたしの深読みと重なる部分も出てきます。(日本でも商慣習法は民法に優先されますね) もちろん単なる深読みですからそれ自体はどうでもいいのですが、いずれにしても外部的な要因がもしそこにあるなら、それを開示されることなく処分を受けた側に不条理な思いが生じるのは必然と言って良いでしょう。その不可解さは総体としてまるで無益なものとしか思えないのです。
  そしてこの点は恐らく、直接の処分対象者とは縁の薄いプレイヤーのいくらかをも不安にさせた‘本当の問題’の在り処の1つです。

  ちなみにこの沢渡さん、ゲーム内では時折姿を見かける程度だったのですが、このかたのブログは移行前の旧サイトの頃からごくたまに訪れていました。忙しい学生生活(当時)の合間をぬって自分のペースでプレイを楽しんでいる感じが読んでいてとても好ましいものだったんですね。個人的にハタチ前後のころ香港や台湾に多くの友人を得た経験もあり、このゲームを始めた初年度に感じた魅力の一つはこうしたプレイヤーと場を同じくできることにもありました。これは余談になりますが、たとえばゲーム内での仕様修正に関するこのかたの考察などは、当時まだ‘大航海時代Online’を始めたばかりだったわたしにとってとても有益なものでもありました。(当該記事URL↓)
   http://diarynote.jp/d/72119/20050914.html


  ゲームを始めた初期、レベルが近かったこともありゲーム内でわたしと最も行動をともにしてくれた友人は、ニューヨークへ転勤中の関西人でした。これに限らずチャットを通して伝わってくる遠い場所での生活の雰囲気みたいなものも、わたしにとっては確実にこのゲームへINする楽しみの一つだったんですよね。
  時期によって日本からINしたり海外からINしたりというプレイヤーサイドの需要が今度どんどん増していくのは、時流から言ってほとんど自明です。ですから個人的には、こうしたプレイヤーの潜在可能性をあらかじめバッサリと排除してしまう方向性だけが今後の‘大航海時代Online’にとって有益なのか、判断しかねる部分はとても大きいのです。

▼画像について
  画像は下記サイトより。pepeさんによるプレイヤーブログです。

  てぃきんるーむhttp://pepeice.blog15.fc2.com/blog-entry-517.html

なぜ今回の処分からこの画像掲示に行き着くのか、一見するだけでは不可解に映るかもしれません。ですがそのプロセスも含め11月30日記事以降のpepeさんの記述の展開には共感できる部分が多いので、この問題に関心を覚えたかたにはぜひ訪問のうえ納得いただければと思います。

※当記事をお読みいただいたうえで、今回の処分に関するご自身の主張や提案その他をされたいと感じたかたがもしいらしたら、有効性の観点から上述の教祖ブログもしくは公式掲示板への投稿をあらかじめお薦めしておきます。この記事を書いた目的は過去のほぼすべての記事と同様であるため、この種の問題にのみフレームトークをぶつけたがるタイプと思しきコメントに対し、色好い扱いはたぶんしません。あしからず。

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