a life to say goodbye
2007年9月7日 世界独航記 コメント (2)
【世界独航記ノ完】
見かたを変えれば世界は変わる。月へ到達した船員による青い地球の写真が人の思考に与えた影響はなお図りがたいが、大航海時代の探検船がもたらす現実もまた時に精神の基盤さえ揺るがしたことだろう。この限りでは光も闇の不在に過ぎず、自意識など他者の鏡像でしかない。
■存在としてのインディアス
中部インド洋上に浮かぶ小島へと上陸。島の様子を確認したのち自領と定め、鉱山開発に初手をつける。補給作業等を行って再び海へ。航海日数の記録によればこの島で30日を費やしたことになる。西進継続、マダガスカル島の北端を通過、モザンビーク港を経て喜望峰へ。インド洋の通過に思いのほか月日をとられた。
‘トルコ’や‘モンゴル’の語のもつ地理的なイメージの広がりが現代国家としての両国に限定されないように、大航海時代における‘インド’‘インディアス’(India,Indias: sの有無は使用言語と文脈による)の語のもつ広がりもまた現在のインド亜大陸のみを意味しない。だからコロンブスがアメリカ大陸をゴアやカリカットのある陸影と見誤って‘インディアス’と名指したという話は間違いではないが正確でもなく、この時代の先駆けにあって‘インディアス’とは異世界のほとんどすべて、より直截に言っても‘喜望峰より向こうの世界’というほどに茫漠とした範囲を指していた。
従ってコロンブスによる‘発見’以降アメリカ大陸とカリブ地域が「西にある異世界」すなわち‘西インド’とされたのは必ずしも彼の見誤りを語義的に受け継いでのことではなく、同様に列強各国の東インド会社が日本や中国沿岸域を活動圏に置いたのもこの一帯が「東の異世界」に含まれる以上まったく自然なことだった。このことは東アジアがいまも‘極東’と称される由縁にも重なるが、ではそのような意味での‘インディアス’の語が究極的に志向しまた象徴的な基盤としたのは何かといえば、‘目に見えない絶対的な他者’の存在ではなかったかと、わたしには思えてならない。
■神なき世界のセイレーン
一隻の船が他には何ひとつ見えない海原を進むとき、天災や飢餓や身体的な病と並び孤立感もまた航行上の大きな脅威であった。セイレーンの歌声に導かれて水夫は時に海中へと没したが、もとより自分が何者であるかという確信に揺らぎが生じれば、人は精神的な危機に抗う術をたやすく失ってしまうだろう。
“私がいまここにある”という確信はどこまでも主観的なものだが、もし客観的な証明を志すならその論拠は自らの外部に求められることになる。だがルネサンスの進展が宗教論争とつねに連動したように、客観性を証す手段としての科学の発展が自己存立の基盤としての神の不在を囁く声の広がりと軌を一にする以上、己がより不確定となるその際に己の外部へ確定的な何かを逐次見出してゆけるはずもなく、唯一確実な論拠としうるのは結局不可視のものに限られるという矛盾に嵌る。自らの外部とは究極的には己の力では全く動かしえぬ存在を指すが、もしそれにより自らが完全に規定されうるならば“私”という存在もまた私自身の力では動かしえないものとなってしまう。そこでは“主体としての私”は一切失われることになる。かつてはそこに、神がいた。
逆をたどる。“私”という主体が絶対的にまずここに“ある”とする。何が起きるか。彼/彼女は自身を変えることで自らを規定してきた外部との関係性それ自体に変化をもたらせうることになる。そして関係性の網目こそが事物を輪郭づける以上、このことは“私”による“私”を規定してきた外部の不変をも変容させうる力の所持を意味するから絶対普遍の神の摂理はここでいったん否定されてしまうのだが、神の不在を確信しきれない“私”はその時、己に関して“神を冒涜する存在”と“自らの内に神を宿す存在”という2つのイメージを両義的にもつことになる。
つまり主観的には確信し、客観的には自己を規定する術をもたないが規定したいと願う己が“主体としての私”を生きようとする時、“私”は“私”の内外両面に絶対普遍のはずの神または摂理の代替物を抱え、ともに一方が他方を規定する唯一の存在であるはずの両者が互いにせめぎ合い影響し対立しあうというおかしな事態に直面する羽目になる。かよわき存在としての人間はここで何を求めるか。神に代わる絶対的な何者かを希求する。“神を冒涜する存在”としての己は許しを乞うてその何者かを神に差し出すが、“自らの内に神を宿す存在”としての己はその根拠を求めて彼らを支配する。いずれにしてもそこで一方的に犠牲となるのは外部としての‘インディアス’に他ならない。
ユネスコの定める世界遺産の存在は、欧米列強による贖罪意識の現れだという話がある。非欧米世界の植民地化および冷戦構造と消費社会の帰結として全地球規模で侵され破壊されゆく自然や文化遺産に対し、いかに無関心を装おうとその現実的な損失を知るかぎり罪過の意識はまぬがれずしかし真っ当な神経ではとても耐えきれない。そこで無自覚の補償行為として現れたのがアスワンハイダム建設計画をきっかけとする世界遺産の指定とその維持修繕を志向する現象だという指摘がそれで、このことは人道支援系NGOの活動が世界で最も盛んな国が殺戮行為の実行と支援にもまた最も積極的である事実ともじかに響き合うものがある。
個体発生は系統発生を繰り返すというが、この意味で現代の若者の多くが行う自分さがしの旅はそのまま西欧列強が国家としてたどってきた道にダブってみえる。物価のまるで異なる国で、先進国の若者は自らの自由に気づき、その自由を形作る暴力の存在をも確認する。あるいは無自覚のうちに感覚する。そこで来た道を戻って消費社会の光のなかに身を投じるとしても誰に責められるものではないし、むしろ彼/彼女が明晰であればあるほど自らのうちなる影に怯え目を背ける大人の一人となることを選ぶだろう。なぜならそこに十全たる救済の可能性はもはやなく、絶対的な他者としての‘インディアス’もまたすでに致命的なまでに損われ、失われているのだから。
■新大陸へ
遠巻きにして喜望峰を通過する。モザンビークからヴェルデ沖までを無寄港で航行、カーボヴェルデを中継しセビリア沖へと北上、そのまま追跡艦隊との戦闘をこなして世界周航シナリオを終える。予定外に長く、そしてまた不思議と様々な思念に駆られる旅路となった。この日誌をつけるにあたっても当初は南極や地球の自転などに触れるつもりはまるでなかったし、ましてや月面に立てた旗にまで話が及ぶとは予想だにせず、書いていて自分でもその突拍子のなさが面白かった。
ところで人類が最初に月面への着陸を果たした年は、米国防総省の下部機関でインターネットの起源となるARPANETが開設された年でもあった。世紀変わってそのインターネットが情報革命を推進させる現下の状況とは端的に、また新たな意識の在りかたが生まれ育ってゆく過程とも言えるのだろう。誰ひとり騒ぐのを耳にしないがたとえばカーナビからgoogle earthへと連なるようなツールが見せる日々の進化は、このような自己同一面での意識革命を飛躍的に加速させているはずだと思う。石油とエンジンによる機械的な物流から、原子力と磁力による電気的な輸送への転換も恐らくこのことを後押しするだろう。眼前の事物はますます生理によっては感覚しがたい何某かへと変わってゆくのだろう。しかしそれは同時に風のそよぎや波のうねり、星のきらめきにより己の立ち位置を知りえた時代に息づいていたものたちがまた一つ、そして一つと音もなく消えていく過程でもある。
画像はインド洋上、自領とした小島にて。結局のところ世界とは脳漿を疾り抜ける光の束でしかなく、この両の掌でつくる球体ほどのうちに生起するなにものかでしかないという‘見かた’を身振りによって表現してみた。しかしそのうちへと注ぎ入り、映り込む光の総体と起源をわたしは知らない。そして知らずにいる限りきっとこの世界は依然底深い謎に充ち、生きるに値し続けるのだろう。“私”がたどり着くことなしにはこの時代、誰の目にも触れることのない未知の土地。目指すのは彼と彼女の心のなかにある、当人さえもいまだ気づかぬ秘境である。
―1524年佳月佳日 擱筆
見かたを変えれば世界は変わる。月へ到達した船員による青い地球の写真が人の思考に与えた影響はなお図りがたいが、大航海時代の探検船がもたらす現実もまた時に精神の基盤さえ揺るがしたことだろう。この限りでは光も闇の不在に過ぎず、自意識など他者の鏡像でしかない。
■存在としてのインディアス
中部インド洋上に浮かぶ小島へと上陸。島の様子を確認したのち自領と定め、鉱山開発に初手をつける。補給作業等を行って再び海へ。航海日数の記録によればこの島で30日を費やしたことになる。西進継続、マダガスカル島の北端を通過、モザンビーク港を経て喜望峰へ。インド洋の通過に思いのほか月日をとられた。
‘トルコ’や‘モンゴル’の語のもつ地理的なイメージの広がりが現代国家としての両国に限定されないように、大航海時代における‘インド’‘インディアス’(India,Indias: sの有無は使用言語と文脈による)の語のもつ広がりもまた現在のインド亜大陸のみを意味しない。だからコロンブスがアメリカ大陸をゴアやカリカットのある陸影と見誤って‘インディアス’と名指したという話は間違いではないが正確でもなく、この時代の先駆けにあって‘インディアス’とは異世界のほとんどすべて、より直截に言っても‘喜望峰より向こうの世界’というほどに茫漠とした範囲を指していた。
従ってコロンブスによる‘発見’以降アメリカ大陸とカリブ地域が「西にある異世界」すなわち‘西インド’とされたのは必ずしも彼の見誤りを語義的に受け継いでのことではなく、同様に列強各国の東インド会社が日本や中国沿岸域を活動圏に置いたのもこの一帯が「東の異世界」に含まれる以上まったく自然なことだった。このことは東アジアがいまも‘極東’と称される由縁にも重なるが、ではそのような意味での‘インディアス’の語が究極的に志向しまた象徴的な基盤としたのは何かといえば、‘目に見えない絶対的な他者’の存在ではなかったかと、わたしには思えてならない。
■神なき世界のセイレーン
一隻の船が他には何ひとつ見えない海原を進むとき、天災や飢餓や身体的な病と並び孤立感もまた航行上の大きな脅威であった。セイレーンの歌声に導かれて水夫は時に海中へと没したが、もとより自分が何者であるかという確信に揺らぎが生じれば、人は精神的な危機に抗う術をたやすく失ってしまうだろう。
“私がいまここにある”という確信はどこまでも主観的なものだが、もし客観的な証明を志すならその論拠は自らの外部に求められることになる。だがルネサンスの進展が宗教論争とつねに連動したように、客観性を証す手段としての科学の発展が自己存立の基盤としての神の不在を囁く声の広がりと軌を一にする以上、己がより不確定となるその際に己の外部へ確定的な何かを逐次見出してゆけるはずもなく、唯一確実な論拠としうるのは結局不可視のものに限られるという矛盾に嵌る。自らの外部とは究極的には己の力では全く動かしえぬ存在を指すが、もしそれにより自らが完全に規定されうるならば“私”という存在もまた私自身の力では動かしえないものとなってしまう。そこでは“主体としての私”は一切失われることになる。かつてはそこに、神がいた。
逆をたどる。“私”という主体が絶対的にまずここに“ある”とする。何が起きるか。彼/彼女は自身を変えることで自らを規定してきた外部との関係性それ自体に変化をもたらせうることになる。そして関係性の網目こそが事物を輪郭づける以上、このことは“私”による“私”を規定してきた外部の不変をも変容させうる力の所持を意味するから絶対普遍の神の摂理はここでいったん否定されてしまうのだが、神の不在を確信しきれない“私”はその時、己に関して“神を冒涜する存在”と“自らの内に神を宿す存在”という2つのイメージを両義的にもつことになる。
つまり主観的には確信し、客観的には自己を規定する術をもたないが規定したいと願う己が“主体としての私”を生きようとする時、“私”は“私”の内外両面に絶対普遍のはずの神または摂理の代替物を抱え、ともに一方が他方を規定する唯一の存在であるはずの両者が互いにせめぎ合い影響し対立しあうというおかしな事態に直面する羽目になる。かよわき存在としての人間はここで何を求めるか。神に代わる絶対的な何者かを希求する。“神を冒涜する存在”としての己は許しを乞うてその何者かを神に差し出すが、“自らの内に神を宿す存在”としての己はその根拠を求めて彼らを支配する。いずれにしてもそこで一方的に犠牲となるのは外部としての‘インディアス’に他ならない。
ユネスコの定める世界遺産の存在は、欧米列強による贖罪意識の現れだという話がある。非欧米世界の植民地化および冷戦構造と消費社会の帰結として全地球規模で侵され破壊されゆく自然や文化遺産に対し、いかに無関心を装おうとその現実的な損失を知るかぎり罪過の意識はまぬがれずしかし真っ当な神経ではとても耐えきれない。そこで無自覚の補償行為として現れたのがアスワンハイダム建設計画をきっかけとする世界遺産の指定とその維持修繕を志向する現象だという指摘がそれで、このことは人道支援系NGOの活動が世界で最も盛んな国が殺戮行為の実行と支援にもまた最も積極的である事実ともじかに響き合うものがある。
個体発生は系統発生を繰り返すというが、この意味で現代の若者の多くが行う自分さがしの旅はそのまま西欧列強が国家としてたどってきた道にダブってみえる。物価のまるで異なる国で、先進国の若者は自らの自由に気づき、その自由を形作る暴力の存在をも確認する。あるいは無自覚のうちに感覚する。そこで来た道を戻って消費社会の光のなかに身を投じるとしても誰に責められるものではないし、むしろ彼/彼女が明晰であればあるほど自らのうちなる影に怯え目を背ける大人の一人となることを選ぶだろう。なぜならそこに十全たる救済の可能性はもはやなく、絶対的な他者としての‘インディアス’もまたすでに致命的なまでに損われ、失われているのだから。
■新大陸へ
遠巻きにして喜望峰を通過する。モザンビークからヴェルデ沖までを無寄港で航行、カーボヴェルデを中継しセビリア沖へと北上、そのまま追跡艦隊との戦闘をこなして世界周航シナリオを終える。予定外に長く、そしてまた不思議と様々な思念に駆られる旅路となった。この日誌をつけるにあたっても当初は南極や地球の自転などに触れるつもりはまるでなかったし、ましてや月面に立てた旗にまで話が及ぶとは予想だにせず、書いていて自分でもその突拍子のなさが面白かった。
ところで人類が最初に月面への着陸を果たした年は、米国防総省の下部機関でインターネットの起源となるARPANETが開設された年でもあった。世紀変わってそのインターネットが情報革命を推進させる現下の状況とは端的に、また新たな意識の在りかたが生まれ育ってゆく過程とも言えるのだろう。誰ひとり騒ぐのを耳にしないがたとえばカーナビからgoogle earthへと連なるようなツールが見せる日々の進化は、このような自己同一面での意識革命を飛躍的に加速させているはずだと思う。石油とエンジンによる機械的な物流から、原子力と磁力による電気的な輸送への転換も恐らくこのことを後押しするだろう。眼前の事物はますます生理によっては感覚しがたい何某かへと変わってゆくのだろう。しかしそれは同時に風のそよぎや波のうねり、星のきらめきにより己の立ち位置を知りえた時代に息づいていたものたちがまた一つ、そして一つと音もなく消えていく過程でもある。
画像はインド洋上、自領とした小島にて。結局のところ世界とは脳漿を疾り抜ける光の束でしかなく、この両の掌でつくる球体ほどのうちに生起するなにものかでしかないという‘見かた’を身振りによって表現してみた。しかしそのうちへと注ぎ入り、映り込む光の総体と起源をわたしは知らない。そして知らずにいる限りきっとこの世界は依然底深い謎に充ち、生きるに値し続けるのだろう。“私”がたどり着くことなしにはこの時代、誰の目にも触れることのない未知の土地。目指すのは彼と彼女の心のなかにある、当人さえもいまだ気づかぬ秘境である。
―1524年佳月佳日 擱筆
【世界独航記ノ肆】
月や太陽とは異なって、‘大航海時代Online’の星空は地球の自転から無縁でいてくれるので、夜明けまである程度はじっくりと鑑賞するゆとりがある。パソコン環境の変化でグラフィック精度が上がって増えた楽しみの一つがこれで、天の河などなかなか綺麗に再現されていると思う。
それで今回の拡張パックはタイトルからして‘Cruz del Sur(南十字星)’なくらいだし、見える星空も南半球のそれに一新されているのだろうと期待して、手元の星図片手にしばらく南十字星を探してみたけれど、通過した季節が悪かったのか海域が違ったのか、あるいは単に見逃しただけなのか、ともかく残念なことに見つけることはできなかった。ただよくよく考えてみればオセアニアで見えるそれは南米やケープ一帯でも見られるはずなのだから、なにも今回に限って勢い勇むような話じゃもともとない。というわけでやや乱暴に話を戻す。
■ソロモンとビスマルク
タスマニア島の新港ホバートを出て一路北上、メラネシアを目指す。オセアニア大陸の東岸沖を進み、最北端のヨーク岬を離れて洋上に帆を張ること数日、最初に見えてきたのはニューギニア島東南端の陸影だった。このことからオセアニア大陸は南方へ引き離されたのみでなく、やや東寄りにずらされたことが確認できる。南大西洋やインド洋に比べて太平洋が広すぎるため、若干の調整を付す意図があったのかもしれない。ただの深読みである。
世界周航シナリオではマゼラン海峡から先における長距離航海の困難が盛んに強調されたが何のことはない、それによりメルカトール式世界の間伸びがやんわりと隠蔽されていたことにいまさら気づく。
ニューギニア島の南岸沿いを西端へ。しばらくすると記憶にある香料諸島の島々が前方に姿を現した。転舵して香料諸島を左目にニューギニア島北岸沖へとまわり、東へ。かつてはこの岸沿いを航行する途上いきなり行く手を阻んだ不可視の壁‘世界の果て’も今はなく、すんなりとビスマルク諸島が視野に入り込む。新港や上陸地点の不在を丹念に確認しながらさらに東航、ソロモン諸島域へと突入する。ここで視認範囲にある島々を逐一確認しようとするも、あろうことか隣接する小島同士をぶった切って突如‘世界の果て’が降臨した。運営サイドの問答無用なこういうセンス、嫌いではない。
言わずもがなだがビスマルクの名はかの鉄血宰相、ソロモンの名は旧約聖書中の王に由来する。一番驚いているのは名が使われた本人たちだろうが、大して縁もゆかりもなく西欧における第一“発見”者ですらない両人物の名に、現地の人々はいったいどういう心象を抱くものなのか、ふと気になった。
■赤道と渦と洗面器
しかたがないので‘世界の果て’に沿って北上を始める。ここで赤道を通過したことになる。久々に北半球へと帰ってきた。
南方へゆく飛行機に乗ると、赤道を越えた時点で機内の手洗いを流れる渦の向きが逆転する、という話を幼少時に聞いたことがある。いま思えばこの話は大いに眉唾で、渦の方向など洗面器の構造であらかた決まるはずだし、そうでなければ地球の自転以前に設置場所や機体の揺れ傾きで容易に変わってしまうだろう。だが掌のうちに収まるようなミクロの事象が地球大のスケールで生起する現象とじかに響きあうこの類の話は昔から大好きで、というかそうした嗜好が幼い頃すでに備わっていたことをいま知った。死ぬかボケるまで付き合うことになりそうだ。
ソロモン諸島から北進して数日、視界の両端に3つずつ島が現れた。うち右側の島々は視認できるが到達できない位置にあり、うち1つはやけに大きい。世界地図で確認してもこのあたりにはないサイズだから、そこにはのちのち港か上陸地点の実装が懸案されているのかもしれない。とすれば大航海時代にも知られ巨岩遺跡のあるポンペイ島の可能性が高いだろう。ちなみにポンペイの名は現地語に由来しローマの史跡に機縁せず。
ここで再度西方へと転舵。東カロリン海盆から西カロリン海盆まで、3島ずつセットになった島嶼群の点在を確認。それぞれ多くの島を抱えるトラック諸島からパラオ諸島へと抜けたことになるから、そうした小島の群れをデフォルメするには3島ずつとするのが適当とされたらしい。
このあとはマニラで史実上の提督レガスピとの会話を経て、ボルネオ島の森林で迷子になったり、香料諸島域で対人海賊の艦隊に追いかけられたり、ディリ沖で商人プレイヤーを助太刀してイベント戦闘をこなしたりと色々あって、続く周航ルートに従い西進開始。ジャカルタからスマトラ島南方沖へと抜け、次の寄港地モザンビークを目指して真西への直線航路を20日ほど進んだ頃、予定通り遥か前方にチャゴス諸島を臨む。予定外だったのは夜間にも関わらず島の1つに明かりが灯っていたことで、偶然にもプライベートファームの候補となる島を発見してしまう。さっそく‘領有’してみることに。
■島と星に旗を立てようの会
港に関してはゲーム内で反映されてもいるが、ある土地を‘領有’あるいは‘占拠’した証として古来から最初に為される行為の一つが、そこに‘自勢力の旗を立てる’という示威活動だ。大航海時代に西欧列強はこぞって大洋の島々に自国の旗を立てて周ったし、後代には南極にもそして月面にすら人は国旗を立ててきた。南極や月面に至ってはそもそもそこが誰かの所有物とされる根拠は何かという議論もお構いなしだが実のところそのあたり、そこに原住民がいようと関知せずの大航海時代からどこも進化していない。
予定外に繰り返し引き合いに出すこととなったが、大航海時代におけるオセアニアを語るうえで切り離しようのないクックの探検船に同乗していた植物学者ジョゼフ・バンクスが出版した日誌中にも、
‘当地の民はおおらかでかつ見事なまでの大地との共生を実現しているがその土地を自分のものだと主張しない。第一文字を持たない彼らにはその所有権を証明する術がない。よってわたしが発見したこの土地はわがイングランドのものである。’
といった趣旨の記述がある。一見紳士的でかつ見事なまでの論理の飛躍を実現しているが、そのトンデモぶりは現代の尺度でしか測れない種のものだ。社会の情報化が加速する今日にあっても国家の基盤が領土にある事実に変わりはないが、そうしたなかでもたとえば係争地を巡る報道には付き物の‘小舟を駆って岩礁に旗を立てる活動家たち’がほのかに醸す滑稽さなど、どこか通じるものがある。
ちなみに南極ではその領有権を主張する国が8ヶ国に及び、旗を立てるほか赤ん坊を出生させるなど既成事実をつくるため涙ぐましい努力が今も続いているらしい。当人たちは命がけだし大真面目なのだろうが、クマや犬猫のマーキングといったいどこが違うのか。
画像は中部インド洋上にて。太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子。この世界周航も終盤に差し掛かった。
―1524年吉月吉日 筆
月や太陽とは異なって、‘大航海時代Online’の星空は地球の自転から無縁でいてくれるので、夜明けまである程度はじっくりと鑑賞するゆとりがある。パソコン環境の変化でグラフィック精度が上がって増えた楽しみの一つがこれで、天の河などなかなか綺麗に再現されていると思う。
それで今回の拡張パックはタイトルからして‘Cruz del Sur(南十字星)’なくらいだし、見える星空も南半球のそれに一新されているのだろうと期待して、手元の星図片手にしばらく南十字星を探してみたけれど、通過した季節が悪かったのか海域が違ったのか、あるいは単に見逃しただけなのか、ともかく残念なことに見つけることはできなかった。ただよくよく考えてみればオセアニアで見えるそれは南米やケープ一帯でも見られるはずなのだから、なにも今回に限って勢い勇むような話じゃもともとない。というわけでやや乱暴に話を戻す。
■ソロモンとビスマルク
タスマニア島の新港ホバートを出て一路北上、メラネシアを目指す。オセアニア大陸の東岸沖を進み、最北端のヨーク岬を離れて洋上に帆を張ること数日、最初に見えてきたのはニューギニア島東南端の陸影だった。このことからオセアニア大陸は南方へ引き離されたのみでなく、やや東寄りにずらされたことが確認できる。南大西洋やインド洋に比べて太平洋が広すぎるため、若干の調整を付す意図があったのかもしれない。ただの深読みである。
世界周航シナリオではマゼラン海峡から先における長距離航海の困難が盛んに強調されたが何のことはない、それによりメルカトール式世界の間伸びがやんわりと隠蔽されていたことにいまさら気づく。
ニューギニア島の南岸沿いを西端へ。しばらくすると記憶にある香料諸島の島々が前方に姿を現した。転舵して香料諸島を左目にニューギニア島北岸沖へとまわり、東へ。かつてはこの岸沿いを航行する途上いきなり行く手を阻んだ不可視の壁‘世界の果て’も今はなく、すんなりとビスマルク諸島が視野に入り込む。新港や上陸地点の不在を丹念に確認しながらさらに東航、ソロモン諸島域へと突入する。ここで視認範囲にある島々を逐一確認しようとするも、あろうことか隣接する小島同士をぶった切って突如‘世界の果て’が降臨した。運営サイドの問答無用なこういうセンス、嫌いではない。
言わずもがなだがビスマルクの名はかの鉄血宰相、ソロモンの名は旧約聖書中の王に由来する。一番驚いているのは名が使われた本人たちだろうが、大して縁もゆかりもなく西欧における第一“発見”者ですらない両人物の名に、現地の人々はいったいどういう心象を抱くものなのか、ふと気になった。
■赤道と渦と洗面器
しかたがないので‘世界の果て’に沿って北上を始める。ここで赤道を通過したことになる。久々に北半球へと帰ってきた。
南方へゆく飛行機に乗ると、赤道を越えた時点で機内の手洗いを流れる渦の向きが逆転する、という話を幼少時に聞いたことがある。いま思えばこの話は大いに眉唾で、渦の方向など洗面器の構造であらかた決まるはずだし、そうでなければ地球の自転以前に設置場所や機体の揺れ傾きで容易に変わってしまうだろう。だが掌のうちに収まるようなミクロの事象が地球大のスケールで生起する現象とじかに響きあうこの類の話は昔から大好きで、というかそうした嗜好が幼い頃すでに備わっていたことをいま知った。死ぬかボケるまで付き合うことになりそうだ。
ソロモン諸島から北進して数日、視界の両端に3つずつ島が現れた。うち右側の島々は視認できるが到達できない位置にあり、うち1つはやけに大きい。世界地図で確認してもこのあたりにはないサイズだから、そこにはのちのち港か上陸地点の実装が懸案されているのかもしれない。とすれば大航海時代にも知られ巨岩遺跡のあるポンペイ島の可能性が高いだろう。ちなみにポンペイの名は現地語に由来しローマの史跡に機縁せず。
ここで再度西方へと転舵。東カロリン海盆から西カロリン海盆まで、3島ずつセットになった島嶼群の点在を確認。それぞれ多くの島を抱えるトラック諸島からパラオ諸島へと抜けたことになるから、そうした小島の群れをデフォルメするには3島ずつとするのが適当とされたらしい。
このあとはマニラで史実上の提督レガスピとの会話を経て、ボルネオ島の森林で迷子になったり、香料諸島域で対人海賊の艦隊に追いかけられたり、ディリ沖で商人プレイヤーを助太刀してイベント戦闘をこなしたりと色々あって、続く周航ルートに従い西進開始。ジャカルタからスマトラ島南方沖へと抜け、次の寄港地モザンビークを目指して真西への直線航路を20日ほど進んだ頃、予定通り遥か前方にチャゴス諸島を臨む。予定外だったのは夜間にも関わらず島の1つに明かりが灯っていたことで、偶然にもプライベートファームの候補となる島を発見してしまう。さっそく‘領有’してみることに。
■島と星に旗を立てようの会
港に関してはゲーム内で反映されてもいるが、ある土地を‘領有’あるいは‘占拠’した証として古来から最初に為される行為の一つが、そこに‘自勢力の旗を立てる’という示威活動だ。大航海時代に西欧列強はこぞって大洋の島々に自国の旗を立てて周ったし、後代には南極にもそして月面にすら人は国旗を立ててきた。南極や月面に至ってはそもそもそこが誰かの所有物とされる根拠は何かという議論もお構いなしだが実のところそのあたり、そこに原住民がいようと関知せずの大航海時代からどこも進化していない。
予定外に繰り返し引き合いに出すこととなったが、大航海時代におけるオセアニアを語るうえで切り離しようのないクックの探検船に同乗していた植物学者ジョゼフ・バンクスが出版した日誌中にも、
‘当地の民はおおらかでかつ見事なまでの大地との共生を実現しているがその土地を自分のものだと主張しない。第一文字を持たない彼らにはその所有権を証明する術がない。よってわたしが発見したこの土地はわがイングランドのものである。’
といった趣旨の記述がある。一見紳士的でかつ見事なまでの論理の飛躍を実現しているが、そのトンデモぶりは現代の尺度でしか測れない種のものだ。社会の情報化が加速する今日にあっても国家の基盤が領土にある事実に変わりはないが、そうしたなかでもたとえば係争地を巡る報道には付き物の‘小舟を駆って岩礁に旗を立てる活動家たち’がほのかに醸す滑稽さなど、どこか通じるものがある。
ちなみに南極ではその領有権を主張する国が8ヶ国に及び、旗を立てるほか赤ん坊を出生させるなど既成事実をつくるため涙ぐましい努力が今も続いているらしい。当人たちは命がけだし大真面目なのだろうが、クマや犬猫のマーキングといったいどこが違うのか。
画像は中部インド洋上にて。太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子。この世界周航も終盤に差し掛かった。
―1524年吉月吉日 筆
【世界独航記ノ參】
実をいうと、オセアニア大陸に新港はない可能性も感じていた。地理的な拡張はいつも小出しなのが運営サイドの手法だし、世界周航へ出るより先にワンガヌイの存在を大投資戦によって告知され、そのワンガヌイで次の寄港地はマニラとされたから、余計に望み薄と思えた面も強い。
■トレス海峡雑感
それだけにオセアニア大陸の東岸沖を北上し、北端のトレス海峡を通過してのちカカドゥの港が視認されたときなどは、まさしく“発見”の気分を味わえて楽しかった。これぞ探検的航海の醍醐味という感じだったが、と同時に‘大航海時代online’の世界では今回の拡張パックでこの大陸の位置修正が特に為されなかったことも発見(確認)し、こちらは少し微妙な気がしないでもない。
たとえばジャカルタやスラバヤ、ディリなどのある小スンダ列島とオセアニア大陸は現実には小海を挟み隣接していて、ディリからカカドゥまでの航行距離は実のところディリから香料諸島までのそれと大差ない。ゲーム内では前者が後者の優に5倍は引き離されている。
それどころか香料諸島の東隣を大きく占めるニューギニア島に至っては、ジェームズ・クックが18世紀に確認するまでオセアニア大陸と地続きと考えるのが常識だった。まだ南極大陸が伝説上の存在に過ぎなかった当時のヨーロッパ社会において、世界で5番目に大きな大陸と世界で2番目に大きなその島は“現実的に”一つの陸地だったのだ。当時の航海者から見ても、両者の位置はそれほどに近しいものだった。
■まったいらな世界
‘大航海時代Online’が描く世界と現実の世界とのこのような地理的な差異は他にも多々あるが、もっともわかりやすい違いを一つ挙げるならそれは何といっても、このゲームでは世界が“まったいら”であるということだ。
ゲームの序盤で近海を往き来しているうちはあまり気にならないし、ひとたび慣れてしまえばどうということもないけれど、ゲームを始めて地中海や北海を出て大西洋を渡る頃にはおそらく、地理や歴史に関心のあるプレイヤーの多くがこのことに一度は違和感を覚えた経験があるはずだ。なぜならメルカトール式に2次元平面へと投影されたこのゲーム内世界の在りようは、その投影による南北端の“間伸び”を是正すべくさらなる地図のデフォルメが行われた結果として、球状に展開した現実の大航海時代における“世界”との間に局所的にはかなり壮大な食い違いを見せているからだ。
たとえば現在の歴史では、一部のヴァイキングはヨーロッパ中世のかなり早い段階で氷床づたいに北米大陸へと渡航したことが検証され、ネイティヴ・アメリカンのDNA鑑定によってもこの説が裏付けられて久しいが、‘大航海時代Online’の世界ではスコットランド北方のシェトランド諸島からアメリカ大陸北東端への距離が開きすぎて実現性に欠けてしまう。
また投影図のマジックによって、本来の直線航路が‘大航海時代Online’の世界では曲線航路へと歪められることになる。地球儀の球面上に糸を張ればわかりやすいが、たとえば今回の世界周航イベントよろしくマゼラン海峡を出て真西方向へ一直線に進むと、現実にはメラネシアより手前で赤道を越えることになる。逆にゲーム内での周航ルートを実際にたどるなら南方向へ微細に舵を切り続ける必要があり、もしニュージーランドへ一直線に向かおうと思ったら今度は無駄に南極圏を突っ切ることになる。零下20度を超え、ちょっと寒い。
ただこうした食い違いで目につくのはむしろそれらに対して施された工夫のほうで、一例を挙げれば緯度の高いエリアにあっては南北方向の距離が東西方向の距離に比べて意図的に著しく短縮されている。こうすることで、高緯度圏では世界そのものの間伸びによりどこへ向かうにもやたらと時間をとられる事態から、とりあえず半分は解放されることになる。
このおかげでアフリカ大陸や南米大陸の南半分は不格好に矮小化されており、オセアニア大陸に至ってはぺしゃんこに押しつぶされた形となってしまったが、よくよく考えてみればたかがゲームの舞台設定でここまで現実世界との整合性をとることへの苦心を迫られるケースというのも面白い。カカドゥの港を出たあと自船は引き続きオセアニア大陸の沿岸探索を続けたが、北岸を横切るのに比べて西岸を縦断するのはやけに早かった。
■南極大陸は実在するか
その後はオセアニア大陸の西岸から南岸へとまわる。視野の左半分にはつねに、上陸地点の一つすらない海岸線がどこまでも続いていく。右方向には水平線のほか何もない。減量上限、砲室最大の改造を施した軍用船に戦闘要員を満載させてこんな僻地を航行している自分が何だか、とてもかわいそうに思えてくる。そしてそろそろ生まれてきた理由でも見つめなおそうかと思えてきた矢先、前方にタスマニア島の陸影が姿を現した。良かった。南側から島を周回していくと、東岸に新港発見。たちまち入港。
ところで先に述べた球体の現実世界と平面のゲーム内世界との地理的な食い違いを是正する工夫によっては、絶対に乗り越えられない壁が一つある。そう、南極大陸の存在だ。
しばしば「地理的発見の時代」とも言い換えられる現実の大航海時代にあっても、南極大陸の存在は最後まで神秘であり続けた。すこし皮肉な話だがこの時代の終わり、それまで伝説上の存在だった南方大陸の実在を最終的に否定したのはかのキャプテン・クックそのひとだった。1773年クックは現在把握されている人類史上初めて南極圏へ突入、南緯71度10分にまで到達、凍てつくその世界にはもはや何もないことを“発見”した。
けれども彼がまぎれもなく大航海時代の英雄の一人である以上、‘大航海時代Online’の世界にもいつか南極探検シナリオの実装される日が来ないとも限らない。というより将来的にはぜひとも期待したい。ただこの大陸の地図的な整合性についてはこれはもう、現状のシステムでは諦めるしかないものがある。どこまでも、でかい。以上。
画像はタスマニア島の新港ホバートにて。なんとなくシコを踏んでみた。しかしこの港集落のグラフィック、あたかも常夏の楽園を思わせる風だが同緯度で北半球に換算するとホバートは函館よりも北にある。へそ出しルックが正しいスタイルなのかはわからない。
―1523年嘉月嘉日 筆
実をいうと、オセアニア大陸に新港はない可能性も感じていた。地理的な拡張はいつも小出しなのが運営サイドの手法だし、世界周航へ出るより先にワンガヌイの存在を大投資戦によって告知され、そのワンガヌイで次の寄港地はマニラとされたから、余計に望み薄と思えた面も強い。
■トレス海峡雑感
それだけにオセアニア大陸の東岸沖を北上し、北端のトレス海峡を通過してのちカカドゥの港が視認されたときなどは、まさしく“発見”の気分を味わえて楽しかった。これぞ探検的航海の醍醐味という感じだったが、と同時に‘大航海時代online’の世界では今回の拡張パックでこの大陸の位置修正が特に為されなかったことも発見(確認)し、こちらは少し微妙な気がしないでもない。
たとえばジャカルタやスラバヤ、ディリなどのある小スンダ列島とオセアニア大陸は現実には小海を挟み隣接していて、ディリからカカドゥまでの航行距離は実のところディリから香料諸島までのそれと大差ない。ゲーム内では前者が後者の優に5倍は引き離されている。
それどころか香料諸島の東隣を大きく占めるニューギニア島に至っては、ジェームズ・クックが18世紀に確認するまでオセアニア大陸と地続きと考えるのが常識だった。まだ南極大陸が伝説上の存在に過ぎなかった当時のヨーロッパ社会において、世界で5番目に大きな大陸と世界で2番目に大きなその島は“現実的に”一つの陸地だったのだ。当時の航海者から見ても、両者の位置はそれほどに近しいものだった。
■まったいらな世界
‘大航海時代Online’が描く世界と現実の世界とのこのような地理的な差異は他にも多々あるが、もっともわかりやすい違いを一つ挙げるならそれは何といっても、このゲームでは世界が“まったいら”であるということだ。
ゲームの序盤で近海を往き来しているうちはあまり気にならないし、ひとたび慣れてしまえばどうということもないけれど、ゲームを始めて地中海や北海を出て大西洋を渡る頃にはおそらく、地理や歴史に関心のあるプレイヤーの多くがこのことに一度は違和感を覚えた経験があるはずだ。なぜならメルカトール式に2次元平面へと投影されたこのゲーム内世界の在りようは、その投影による南北端の“間伸び”を是正すべくさらなる地図のデフォルメが行われた結果として、球状に展開した現実の大航海時代における“世界”との間に局所的にはかなり壮大な食い違いを見せているからだ。
たとえば現在の歴史では、一部のヴァイキングはヨーロッパ中世のかなり早い段階で氷床づたいに北米大陸へと渡航したことが検証され、ネイティヴ・アメリカンのDNA鑑定によってもこの説が裏付けられて久しいが、‘大航海時代Online’の世界ではスコットランド北方のシェトランド諸島からアメリカ大陸北東端への距離が開きすぎて実現性に欠けてしまう。
また投影図のマジックによって、本来の直線航路が‘大航海時代Online’の世界では曲線航路へと歪められることになる。地球儀の球面上に糸を張ればわかりやすいが、たとえば今回の世界周航イベントよろしくマゼラン海峡を出て真西方向へ一直線に進むと、現実にはメラネシアより手前で赤道を越えることになる。逆にゲーム内での周航ルートを実際にたどるなら南方向へ微細に舵を切り続ける必要があり、もしニュージーランドへ一直線に向かおうと思ったら今度は無駄に南極圏を突っ切ることになる。零下20度を超え、ちょっと寒い。
ただこうした食い違いで目につくのはむしろそれらに対して施された工夫のほうで、一例を挙げれば緯度の高いエリアにあっては南北方向の距離が東西方向の距離に比べて意図的に著しく短縮されている。こうすることで、高緯度圏では世界そのものの間伸びによりどこへ向かうにもやたらと時間をとられる事態から、とりあえず半分は解放されることになる。
このおかげでアフリカ大陸や南米大陸の南半分は不格好に矮小化されており、オセアニア大陸に至ってはぺしゃんこに押しつぶされた形となってしまったが、よくよく考えてみればたかがゲームの舞台設定でここまで現実世界との整合性をとることへの苦心を迫られるケースというのも面白い。カカドゥの港を出たあと自船は引き続きオセアニア大陸の沿岸探索を続けたが、北岸を横切るのに比べて西岸を縦断するのはやけに早かった。
■南極大陸は実在するか
その後はオセアニア大陸の西岸から南岸へとまわる。視野の左半分にはつねに、上陸地点の一つすらない海岸線がどこまでも続いていく。右方向には水平線のほか何もない。減量上限、砲室最大の改造を施した軍用船に戦闘要員を満載させてこんな僻地を航行している自分が何だか、とてもかわいそうに思えてくる。そしてそろそろ生まれてきた理由でも見つめなおそうかと思えてきた矢先、前方にタスマニア島の陸影が姿を現した。良かった。南側から島を周回していくと、東岸に新港発見。たちまち入港。
ところで先に述べた球体の現実世界と平面のゲーム内世界との地理的な食い違いを是正する工夫によっては、絶対に乗り越えられない壁が一つある。そう、南極大陸の存在だ。
しばしば「地理的発見の時代」とも言い換えられる現実の大航海時代にあっても、南極大陸の存在は最後まで神秘であり続けた。すこし皮肉な話だがこの時代の終わり、それまで伝説上の存在だった南方大陸の実在を最終的に否定したのはかのキャプテン・クックそのひとだった。1773年クックは現在把握されている人類史上初めて南極圏へ突入、南緯71度10分にまで到達、凍てつくその世界にはもはや何もないことを“発見”した。
けれども彼がまぎれもなく大航海時代の英雄の一人である以上、‘大航海時代Online’の世界にもいつか南極探検シナリオの実装される日が来ないとも限らない。というより将来的にはぜひとも期待したい。ただこの大陸の地図的な整合性についてはこれはもう、現状のシステムでは諦めるしかないものがある。どこまでも、でかい。以上。
画像はタスマニア島の新港ホバートにて。なんとなくシコを踏んでみた。しかしこの港集落のグラフィック、あたかも常夏の楽園を思わせる風だが同緯度で北半球に換算するとホバートは函館よりも北にある。へそ出しルックが正しいスタイルなのかはわからない。
―1523年嘉月嘉日 筆
【世界独航記ノ貮】
新港ワンガヌイにてIN。正規の世界周航ルートに従えば、次の寄港地はマニラとなる。航路はここで大きく北西へと角度を変えるわけだが、自船はこのルートを一旦外れることにする。マゼラン海峡以降の真西への針路をさらに継続、目指すは未知の大陸オセアニアの陸影ただ一つ。
■マオリのひとびと
ところで昨夜はこの港の実装初日に起きた大投資戦の渦中にいたため気にもとまらなかったが、よくみるとワンガヌイで交易品や料理を扱う人々はみな現地先住民の格好をしていた。つまり交易所の店主も道具屋の主人もみなマオリの民ということになるが、彼らの物を商うセリフからして早くも貨幣経済が深く根づいてしまっているらしきあたりなど、何だか微笑ましくもありまた若干の痛々しさも感じてしまう。
そもそも本来ならば投資がどうのという前に、マオリを含むポリネシア一帯の文化圏において貨幣交換とはあくまで祭儀的象徴的な営為であり、日常的な水準では物々交換が基盤の社会であったように思う。大航海時代の航海者が多くの海でそうしたように、原住民から物資食糧をもらう代わりに積み荷や所持品のうちより対価を渡す、というようなシステムがあってもきっと楽しいだろうと思う。所持枠が大変なことになってきそうだけれど。
にしてもこの土地で目にする料理のレパートリーは強烈だった。料理人が見せるレシピ名だけ並べてみても、芋虫焼きの作り方、ワニ肉串焼きの作り方、カンガルー肉の煮込みなどいずれもプリミティヴなムード満載で、まさかイモムシが交易品の一つとして登場するとは予想の遥か上空を行かれた感が濃い。
そのくせ木槍などは欧州で手に入るものとまったく同じなのだけど、実際には地球の反対側の先住民が作った武器や民芸品の類はこの時代、欧州に持ち帰ると手持ちサイズのものでも好事家の貴族に売れば家が一軒建ったとか建たないとか。とはいってもこういうことでこのゲームにケチを付けたい心地にはならず、プレイするうちにこうしてあれこれ想い巡らせてしまうことそのものが面白い。
■珊瑚海とキャプテン・クック
さてワンガヌイを出航しニュージランドの南北両島を一周したあとは、見渡すかぎり何もない海原を真西へと針路を採った。一週間ほど一直線に船を進めると、正面に大きく横たわる未知の大陸がゆっくりと姿を現した。ここで岸に沿って舳先を北方向へと転舵する。しばらくすると海域表示がタスマン海からコーラル海へと切り替わった。
コーラル海(Coral Sea=珊瑚海)の名が示すごとく、オセアニア大陸の北東岸には果てしなく広大な珊瑚礁群が連なり航海の難所となっている。大堡礁、いわゆるグレートバリアリーフがそれである。
世界周航にかかわる大航海時代の著名な航海者としては、最初に志したフェルディナンド・マゼランや二番目に達成したフランシス・ドレークと並び、ジェームズ・クックの名を挙げる声も多いだろう。クックは18世紀のひとだからマゼラン、ドレークとは生きた時代を2世紀ほど異にするが、史実でこのコーラル海を抜けオーストラリアの東海岸に到達した最初の欧州人は彼である。
つまり言い換えるならクックまでの200年間、グレートバリアリーフの存在がこの到達を阻んできたとも言えるだろう。クックの功績の裏には、座礁によって船を損傷させつつも敢えて挑む積極姿勢があった。航海の安全を期すならそれは避けるべき蛮勇であったろうし、船員にはそうした危険を望まぬ者も多かったろう。何より船を失えば、生きながらえたとしてものちのち提督としての職責を厳しく糾弾されることになる。
それに比べると、ゲーム内でのこの海域は平穏なこと極まりない。わたしが通過した限りでは、沖合で座礁することも皆無であった。これはこれで寂しい気がしなくもない。
■カカドゥの奇跡
自船はその後オーストラリア北岸のカカドゥを発見。画像はこの土地で出会ったヴィディア姫と撮ったもの。新港到達を祝いて奇跡の水上踊りの図。航海者養成学校にて支給されたマジカル服の効果である。
マングローブの樹と蓮の花が特徴的なこのエリアは、現代では世界自然遺産にも指定されている名勝地。40万年前から人が生活した形跡があり、この地にみられるアボリジニによる壁画には制作年代を紀元前5000年に遡るものもあるという。たかだかここ2、300年のヨーロピアンによる到達やら領有やらが果たしてどれほど重要なことなのか、こうしたスケールの前では霞んでみえるとしてもあながち憶見とは言えないだろう。
ヴィディア姫はここで入浴などして本来の周航ルートへと北上していったが、自船はここからさらに南西へと沿岸探索を進めていくことにする。東洋の古僧はかつてこう書き遺したという。「この途をいけばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば途は無し。踏み出せばその一足が途となり、つぎの一足が途となる。迷わずいけよ、いけばわかるさいちにさん」
あごの出た格闘家の言葉とする説もある。いずれも俗説の域を出ない。
―1523年良月良日 筆
新港ワンガヌイにてIN。正規の世界周航ルートに従えば、次の寄港地はマニラとなる。航路はここで大きく北西へと角度を変えるわけだが、自船はこのルートを一旦外れることにする。マゼラン海峡以降の真西への針路をさらに継続、目指すは未知の大陸オセアニアの陸影ただ一つ。
■マオリのひとびと
ところで昨夜はこの港の実装初日に起きた大投資戦の渦中にいたため気にもとまらなかったが、よくみるとワンガヌイで交易品や料理を扱う人々はみな現地先住民の格好をしていた。つまり交易所の店主も道具屋の主人もみなマオリの民ということになるが、彼らの物を商うセリフからして早くも貨幣経済が深く根づいてしまっているらしきあたりなど、何だか微笑ましくもありまた若干の痛々しさも感じてしまう。
そもそも本来ならば投資がどうのという前に、マオリを含むポリネシア一帯の文化圏において貨幣交換とはあくまで祭儀的象徴的な営為であり、日常的な水準では物々交換が基盤の社会であったように思う。大航海時代の航海者が多くの海でそうしたように、原住民から物資食糧をもらう代わりに積み荷や所持品のうちより対価を渡す、というようなシステムがあってもきっと楽しいだろうと思う。所持枠が大変なことになってきそうだけれど。
にしてもこの土地で目にする料理のレパートリーは強烈だった。料理人が見せるレシピ名だけ並べてみても、芋虫焼きの作り方、ワニ肉串焼きの作り方、カンガルー肉の煮込みなどいずれもプリミティヴなムード満載で、まさかイモムシが交易品の一つとして登場するとは予想の遥か上空を行かれた感が濃い。
そのくせ木槍などは欧州で手に入るものとまったく同じなのだけど、実際には地球の反対側の先住民が作った武器や民芸品の類はこの時代、欧州に持ち帰ると手持ちサイズのものでも好事家の貴族に売れば家が一軒建ったとか建たないとか。とはいってもこういうことでこのゲームにケチを付けたい心地にはならず、プレイするうちにこうしてあれこれ想い巡らせてしまうことそのものが面白い。
■珊瑚海とキャプテン・クック
さてワンガヌイを出航しニュージランドの南北両島を一周したあとは、見渡すかぎり何もない海原を真西へと針路を採った。一週間ほど一直線に船を進めると、正面に大きく横たわる未知の大陸がゆっくりと姿を現した。ここで岸に沿って舳先を北方向へと転舵する。しばらくすると海域表示がタスマン海からコーラル海へと切り替わった。
コーラル海(Coral Sea=珊瑚海)の名が示すごとく、オセアニア大陸の北東岸には果てしなく広大な珊瑚礁群が連なり航海の難所となっている。大堡礁、いわゆるグレートバリアリーフがそれである。
世界周航にかかわる大航海時代の著名な航海者としては、最初に志したフェルディナンド・マゼランや二番目に達成したフランシス・ドレークと並び、ジェームズ・クックの名を挙げる声も多いだろう。クックは18世紀のひとだからマゼラン、ドレークとは生きた時代を2世紀ほど異にするが、史実でこのコーラル海を抜けオーストラリアの東海岸に到達した最初の欧州人は彼である。
つまり言い換えるならクックまでの200年間、グレートバリアリーフの存在がこの到達を阻んできたとも言えるだろう。クックの功績の裏には、座礁によって船を損傷させつつも敢えて挑む積極姿勢があった。航海の安全を期すならそれは避けるべき蛮勇であったろうし、船員にはそうした危険を望まぬ者も多かったろう。何より船を失えば、生きながらえたとしてものちのち提督としての職責を厳しく糾弾されることになる。
それに比べると、ゲーム内でのこの海域は平穏なこと極まりない。わたしが通過した限りでは、沖合で座礁することも皆無であった。これはこれで寂しい気がしなくもない。
■カカドゥの奇跡
自船はその後オーストラリア北岸のカカドゥを発見。画像はこの土地で出会ったヴィディア姫と撮ったもの。新港到達を祝いて奇跡の水上踊りの図。航海者養成学校にて支給されたマジカル服の効果である。
マングローブの樹と蓮の花が特徴的なこのエリアは、現代では世界自然遺産にも指定されている名勝地。40万年前から人が生活した形跡があり、この地にみられるアボリジニによる壁画には制作年代を紀元前5000年に遡るものもあるという。たかだかここ2、300年のヨーロピアンによる到達やら領有やらが果たしてどれほど重要なことなのか、こうしたスケールの前では霞んでみえるとしてもあながち憶見とは言えないだろう。
ヴィディア姫はここで入浴などして本来の周航ルートへと北上していったが、自船はここからさらに南西へと沿岸探索を進めていくことにする。東洋の古僧はかつてこう書き遺したという。「この途をいけばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば途は無し。踏み出せばその一足が途となり、つぎの一足が途となる。迷わずいけよ、いけばわかるさいちにさん」
あごの出た格闘家の言葉とする説もある。いずれも俗説の域を出ない。
―1523年良月良日 筆
【世界独航記ノ壹】
拡張パック“Cruz del Sur”実装初日、夕刻。INすると暗転したまま画面に「1522年9月6日―」との白文字が浮かび、世界周航イベント発生。一昨夜セビリアの出航所内で落ちたため、接続と同時にイベント開始のトリガーを引いたらしい。以下簡略に初周航の顛末と雑感を記す。
■出航準備
南太平洋の入港許可証がいきなり下りたことに驚きつつも、さっそく遠洋航海の準備へ。携行武装を高性能低耐久の対人海賊用と、イベント中に発生するかもしれないNPC戦用とでしばし迷い、いざ出くわしたとき後悔せずに済むという理由で前者を選択。海軍要請書、略奪命令書、対NPC用上納品など、しばらく手にすることのなかったアイテムも所持枠へ。
出航前、今日から開校された航海者養成学校へも顔を出してみる。支給された制服の素っ気なさはなかなか悪くない。ただこれを着たチビっ子たちがわらわらと群がる光景は、なぜホウキも一緒に支給しないのか不思議なくらいにマジカルな気はする。
新装されたスクールチャットへも入ってみるが、しばらくするとネタバレ的な発言が目につくようになり退室。当人は親切のつもりなのだろうし、何が聞きたくて何が聞きたくないのかはそれぞれに違うから、結局こういうときは耳をふさぐのが一番いい。同様の理由で商会チャットもしばし不在の旨通知して非表示に。
■大投資戦勃発、そして出航
そうこうしていると、なんと「ワンガヌイにて大投資戦が発生!」とのアナウンス。聞いたこともない、つまりたった数時間前に実装されたばかりの新港で発生させてしまう運営の破格ぶりにひたすら唖然。寡聞にしてこの地名を知らずどんなところか予想もつかないが、これで対人戦闘の可能性が一気に増大したのは確実。積載武装を追走/退避用の長距離砲主体から撃沈目的の名匠カロネード砲主体へと転換。
そして出航。
北アフリカ西岸沖、ラスパルマスにて周航イベント主人公の一人らしき、エレナ嬢が乗船してくる。こういう萌え系の美少女キャラクターが何ら悪びれずシナリオの中軸に居座るのは信頼に足るリサーチの産物なのか、単なる制作陣の趣味の問題なのか毎度のことだが悩ましい。すぐに馴染める自分もこわい。
お呼びがかかった多国籍の軍人チャットやイスパニアの海賊討伐チャットからは新船の性能情報や敵性海賊の動向が流れてくる。この種のネタバレであればいくらされてもわたしの場合はむしろ好める。通航中のカナリア沖でイングランドの海賊船が検索にかかり、チャットに同室するプレイヤーが交戦するも単艦レヴェルのため自船は先を急いでそのまま南下。リオ〜ブエノスアイレス〜ウシュアイアと寄港しつつシナリオを進め、マゼラン海峡を越えて航路を真西へ。
ちなみに今回のメイン船に選んだのは軍用ジーベック。ローズウッド製18%減量、連携強化スキル及び重量砲撃スキル搭載。最低耐久だが対海賊の追撃/退避戦にはじゅうぶん耐えうる。何よりジーベック系に特有の流線型船体にローズウッドの濃い赤紫はよく映える。自称むらさき芋。高速船の速度変更も事前に告知されていたが、この船もその恩恵を受けたらしく体感的にも早くなった。波の高い海域を通過するため対波性能に乏しいラ・ロワイヤルはサブに回し、戦列艦とともに一応携行はしておいた。
■ワンガヌイ実戦
ワンガヌイは現ニュージーランド北島の南岸に位置している。ゲーム内では港を出てすぐ向かいに南島が大きく横たわる。つまり両島に挟まれる形で、港への通航路は南東方向(現クック海峡)と北西方向(現タスマン湾)に限定されることになる。
その港であろうことか実装初日の夜、大投資戦が起きた。ワンガヌイは世界周航イベントのルート上にあり、大投資戦など勃発せずとも今日はあまたの船がマゼラン海峡から南太平洋を横切って南東方向から入港し、次の寄港地へと向けて北西方向へと抜けていく日なのだから、対人海賊が群がる条件としてはこのうえない。実際自船が南東側の海峡へと進入した時点ですでに敵味方双方の海賊艦隊や討伐艦隊が視認され、港へと入るとさっそく現地にいるポルトガル海賊主体の対人チャットからの呼び鈴が響いた。
このところ基本的にフェアな状況下での艦隊戦しかしていなかったこともあり、一戦ごとに勢力の優劣が目まぐるしく変わり、非対称の戦闘が連続する危険海域での実戦はかなりの手応えがあった。
が、一般の商船・冒険船への敵性艦隊による襲撃を妨害すべく、追加帆も未装備な状態で交戦して1vs4となり拿捕されたり、職業が釣り師であるにも関わらず本職軍人相手に前のめりに機雷戦を仕掛けたあげく修理が追いつかずに沈んだりと惨敗も目立った。艦隊戦となった際にも、お互いに敵旗艦を落とすことが最終目的の大海戦や模擬戦とは優先すべき判断軸がまるで異なるため、援軍への入りかたなど久々ゆえのミステイクを連発。随所に甘さが出た。
トータルでは5500万Dほどの賞金収入と、フル耐久の最高貫通カロネード砲14門を獲得。被害は被拿捕時の所持金24万Dと真鯛一樽のほかは耐久損耗のみ。戦利品の大砲は1on1を戦った敵海賊から味方船が獲得したのち譲り受けたものだが、収奪される可能性の高い海賊船にこんなにも高価な砲を載せるものなのかと少し驚く。意気込みの差とも。
■終息
勢力としては海賊船が各々10隻前後に賞金稼ぎが数隻ずつ加わって、離席その他で陣容は入れ替わりつつも大投資戦の終了まで衝突が続いた。衝突の主局面では賞金の懸かっていないわたしのような賞金稼ぎが一方的に儲かってしまうわけだが、その合間あいまや大投資戦の終了後も数時間にわたって往来する一般船が次々に襲われていたようだから、この夜の海賊側のゲインはおそらく自船の比ではない。
大投資戦そのものは終了後のほうが投資行動が活発化する風景もすでに見慣れたものとなり、発生誘導の操作も含め現状どうにも急造感の目立つシステムと言わざるを得ない。
結果としてこの夜は、冒険経験の獲得チャンスを少しでも活かしたいという貧乏根性による転職が仇と出る局面もあったが、冒険職なのに戦闘機会は逃したくないという欲張り根性に発する武装選択は大いに活きた。人生なにがどう転ぶかなんてわからない。わからないほうがたぶんいい。 といきなり締める。
画像はそのワンガヌイにて。せっかくなので冒険職限定のベルベットジュストコールを着用、蒼穹に向かいて一心にアピールするの図。この画像を撮るべく新出のエモーションを幾度も繰り返していたら、通りがかった初見のプレイヤーからありがたくも「ブログ読んでます〜」とのTellをいただいた。やや、赤面。
―1522年佳月佳日 筆
拡張パック“Cruz del Sur”実装初日、夕刻。INすると暗転したまま画面に「1522年9月6日―」との白文字が浮かび、世界周航イベント発生。一昨夜セビリアの出航所内で落ちたため、接続と同時にイベント開始のトリガーを引いたらしい。以下簡略に初周航の顛末と雑感を記す。
■出航準備
南太平洋の入港許可証がいきなり下りたことに驚きつつも、さっそく遠洋航海の準備へ。携行武装を高性能低耐久の対人海賊用と、イベント中に発生するかもしれないNPC戦用とでしばし迷い、いざ出くわしたとき後悔せずに済むという理由で前者を選択。海軍要請書、略奪命令書、対NPC用上納品など、しばらく手にすることのなかったアイテムも所持枠へ。
出航前、今日から開校された航海者養成学校へも顔を出してみる。支給された制服の素っ気なさはなかなか悪くない。ただこれを着たチビっ子たちがわらわらと群がる光景は、なぜホウキも一緒に支給しないのか不思議なくらいにマジカルな気はする。
新装されたスクールチャットへも入ってみるが、しばらくするとネタバレ的な発言が目につくようになり退室。当人は親切のつもりなのだろうし、何が聞きたくて何が聞きたくないのかはそれぞれに違うから、結局こういうときは耳をふさぐのが一番いい。同様の理由で商会チャットもしばし不在の旨通知して非表示に。
■大投資戦勃発、そして出航
そうこうしていると、なんと「ワンガヌイにて大投資戦が発生!」とのアナウンス。聞いたこともない、つまりたった数時間前に実装されたばかりの新港で発生させてしまう運営の破格ぶりにひたすら唖然。寡聞にしてこの地名を知らずどんなところか予想もつかないが、これで対人戦闘の可能性が一気に増大したのは確実。積載武装を追走/退避用の長距離砲主体から撃沈目的の名匠カロネード砲主体へと転換。
そして出航。
北アフリカ西岸沖、ラスパルマスにて周航イベント主人公の一人らしき、エレナ嬢が乗船してくる。こういう萌え系の美少女キャラクターが何ら悪びれずシナリオの中軸に居座るのは信頼に足るリサーチの産物なのか、単なる制作陣の趣味の問題なのか毎度のことだが悩ましい。すぐに馴染める自分もこわい。
お呼びがかかった多国籍の軍人チャットやイスパニアの海賊討伐チャットからは新船の性能情報や敵性海賊の動向が流れてくる。この種のネタバレであればいくらされてもわたしの場合はむしろ好める。通航中のカナリア沖でイングランドの海賊船が検索にかかり、チャットに同室するプレイヤーが交戦するも単艦レヴェルのため自船は先を急いでそのまま南下。リオ〜ブエノスアイレス〜ウシュアイアと寄港しつつシナリオを進め、マゼラン海峡を越えて航路を真西へ。
ちなみに今回のメイン船に選んだのは軍用ジーベック。ローズウッド製18%減量、連携強化スキル及び重量砲撃スキル搭載。最低耐久だが対海賊の追撃/退避戦にはじゅうぶん耐えうる。何よりジーベック系に特有の流線型船体にローズウッドの濃い赤紫はよく映える。自称むらさき芋。高速船の速度変更も事前に告知されていたが、この船もその恩恵を受けたらしく体感的にも早くなった。波の高い海域を通過するため対波性能に乏しいラ・ロワイヤルはサブに回し、戦列艦とともに一応携行はしておいた。
■ワンガヌイ実戦
ワンガヌイは現ニュージーランド北島の南岸に位置している。ゲーム内では港を出てすぐ向かいに南島が大きく横たわる。つまり両島に挟まれる形で、港への通航路は南東方向(現クック海峡)と北西方向(現タスマン湾)に限定されることになる。
その港であろうことか実装初日の夜、大投資戦が起きた。ワンガヌイは世界周航イベントのルート上にあり、大投資戦など勃発せずとも今日はあまたの船がマゼラン海峡から南太平洋を横切って南東方向から入港し、次の寄港地へと向けて北西方向へと抜けていく日なのだから、対人海賊が群がる条件としてはこのうえない。実際自船が南東側の海峡へと進入した時点ですでに敵味方双方の海賊艦隊や討伐艦隊が視認され、港へと入るとさっそく現地にいるポルトガル海賊主体の対人チャットからの呼び鈴が響いた。
このところ基本的にフェアな状況下での艦隊戦しかしていなかったこともあり、一戦ごとに勢力の優劣が目まぐるしく変わり、非対称の戦闘が連続する危険海域での実戦はかなりの手応えがあった。
が、一般の商船・冒険船への敵性艦隊による襲撃を妨害すべく、追加帆も未装備な状態で交戦して1vs4となり拿捕されたり、職業が釣り師であるにも関わらず本職軍人相手に前のめりに機雷戦を仕掛けたあげく修理が追いつかずに沈んだりと惨敗も目立った。艦隊戦となった際にも、お互いに敵旗艦を落とすことが最終目的の大海戦や模擬戦とは優先すべき判断軸がまるで異なるため、援軍への入りかたなど久々ゆえのミステイクを連発。随所に甘さが出た。
トータルでは5500万Dほどの賞金収入と、フル耐久の最高貫通カロネード砲14門を獲得。被害は被拿捕時の所持金24万Dと真鯛一樽のほかは耐久損耗のみ。戦利品の大砲は1on1を戦った敵海賊から味方船が獲得したのち譲り受けたものだが、収奪される可能性の高い海賊船にこんなにも高価な砲を載せるものなのかと少し驚く。意気込みの差とも。
■終息
勢力としては海賊船が各々10隻前後に賞金稼ぎが数隻ずつ加わって、離席その他で陣容は入れ替わりつつも大投資戦の終了まで衝突が続いた。衝突の主局面では賞金の懸かっていないわたしのような賞金稼ぎが一方的に儲かってしまうわけだが、その合間あいまや大投資戦の終了後も数時間にわたって往来する一般船が次々に襲われていたようだから、この夜の海賊側のゲインはおそらく自船の比ではない。
大投資戦そのものは終了後のほうが投資行動が活発化する風景もすでに見慣れたものとなり、発生誘導の操作も含め現状どうにも急造感の目立つシステムと言わざるを得ない。
結果としてこの夜は、冒険経験の獲得チャンスを少しでも活かしたいという貧乏根性による転職が仇と出る局面もあったが、冒険職なのに戦闘機会は逃したくないという欲張り根性に発する武装選択は大いに活きた。人生なにがどう転ぶかなんてわからない。わからないほうがたぶんいい。 といきなり締める。
画像はそのワンガヌイにて。せっかくなので冒険職限定のベルベットジュストコールを着用、蒼穹に向かいて一心にアピールするの図。この画像を撮るべく新出のエモーションを幾度も繰り返していたら、通りがかった初見のプレイヤーからありがたくも「ブログ読んでます〜」とのTellをいただいた。やや、赤面。
―1522年佳月佳日 筆