【世界独航記ノ肆】
月や太陽とは異なって、‘大航海時代Online’の星空は地球の自転から無縁でいてくれるので、夜明けまである程度はじっくりと鑑賞するゆとりがある。パソコン環境の変化でグラフィック精度が上がって増えた楽しみの一つがこれで、天の河などなかなか綺麗に再現されていると思う。
それで今回の拡張パックはタイトルからして‘Cruz del Sur(南十字星)’なくらいだし、見える星空も南半球のそれに一新されているのだろうと期待して、手元の星図片手にしばらく南十字星を探してみたけれど、通過した季節が悪かったのか海域が違ったのか、あるいは単に見逃しただけなのか、ともかく残念なことに見つけることはできなかった。ただよくよく考えてみればオセアニアで見えるそれは南米やケープ一帯でも見られるはずなのだから、なにも今回に限って勢い勇むような話じゃもともとない。というわけでやや乱暴に話を戻す。
■ソロモンとビスマルク
タスマニア島の新港ホバートを出て一路北上、メラネシアを目指す。オセアニア大陸の東岸沖を進み、最北端のヨーク岬を離れて洋上に帆を張ること数日、最初に見えてきたのはニューギニア島東南端の陸影だった。このことからオセアニア大陸は南方へ引き離されたのみでなく、やや東寄りにずらされたことが確認できる。南大西洋やインド洋に比べて太平洋が広すぎるため、若干の調整を付す意図があったのかもしれない。ただの深読みである。
世界周航シナリオではマゼラン海峡から先における長距離航海の困難が盛んに強調されたが何のことはない、それによりメルカトール式世界の間伸びがやんわりと隠蔽されていたことにいまさら気づく。
ニューギニア島の南岸沿いを西端へ。しばらくすると記憶にある香料諸島の島々が前方に姿を現した。転舵して香料諸島を左目にニューギニア島北岸沖へとまわり、東へ。かつてはこの岸沿いを航行する途上いきなり行く手を阻んだ不可視の壁‘世界の果て’も今はなく、すんなりとビスマルク諸島が視野に入り込む。新港や上陸地点の不在を丹念に確認しながらさらに東航、ソロモン諸島域へと突入する。ここで視認範囲にある島々を逐一確認しようとするも、あろうことか隣接する小島同士をぶった切って突如‘世界の果て’が降臨した。運営サイドの問答無用なこういうセンス、嫌いではない。
言わずもがなだがビスマルクの名はかの鉄血宰相、ソロモンの名は旧約聖書中の王に由来する。一番驚いているのは名が使われた本人たちだろうが、大して縁もゆかりもなく西欧における第一“発見”者ですらない両人物の名に、現地の人々はいったいどういう心象を抱くものなのか、ふと気になった。
■赤道と渦と洗面器
しかたがないので‘世界の果て’に沿って北上を始める。ここで赤道を通過したことになる。久々に北半球へと帰ってきた。
南方へゆく飛行機に乗ると、赤道を越えた時点で機内の手洗いを流れる渦の向きが逆転する、という話を幼少時に聞いたことがある。いま思えばこの話は大いに眉唾で、渦の方向など洗面器の構造であらかた決まるはずだし、そうでなければ地球の自転以前に設置場所や機体の揺れ傾きで容易に変わってしまうだろう。だが掌のうちに収まるようなミクロの事象が地球大のスケールで生起する現象とじかに響きあうこの類の話は昔から大好きで、というかそうした嗜好が幼い頃すでに備わっていたことをいま知った。死ぬかボケるまで付き合うことになりそうだ。
ソロモン諸島から北進して数日、視界の両端に3つずつ島が現れた。うち右側の島々は視認できるが到達できない位置にあり、うち1つはやけに大きい。世界地図で確認してもこのあたりにはないサイズだから、そこにはのちのち港か上陸地点の実装が懸案されているのかもしれない。とすれば大航海時代にも知られ巨岩遺跡のあるポンペイ島の可能性が高いだろう。ちなみにポンペイの名は現地語に由来しローマの史跡に機縁せず。
ここで再度西方へと転舵。東カロリン海盆から西カロリン海盆まで、3島ずつセットになった島嶼群の点在を確認。それぞれ多くの島を抱えるトラック諸島からパラオ諸島へと抜けたことになるから、そうした小島の群れをデフォルメするには3島ずつとするのが適当とされたらしい。
このあとはマニラで史実上の提督レガスピとの会話を経て、ボルネオ島の森林で迷子になったり、香料諸島域で対人海賊の艦隊に追いかけられたり、ディリ沖で商人プレイヤーを助太刀してイベント戦闘をこなしたりと色々あって、続く周航ルートに従い西進開始。ジャカルタからスマトラ島南方沖へと抜け、次の寄港地モザンビークを目指して真西への直線航路を20日ほど進んだ頃、予定通り遥か前方にチャゴス諸島を臨む。予定外だったのは夜間にも関わらず島の1つに明かりが灯っていたことで、偶然にもプライベートファームの候補となる島を発見してしまう。さっそく‘領有’してみることに。
■島と星に旗を立てようの会
港に関してはゲーム内で反映されてもいるが、ある土地を‘領有’あるいは‘占拠’した証として古来から最初に為される行為の一つが、そこに‘自勢力の旗を立てる’という示威活動だ。大航海時代に西欧列強はこぞって大洋の島々に自国の旗を立てて周ったし、後代には南極にもそして月面にすら人は国旗を立ててきた。南極や月面に至ってはそもそもそこが誰かの所有物とされる根拠は何かという議論もお構いなしだが実のところそのあたり、そこに原住民がいようと関知せずの大航海時代からどこも進化していない。
予定外に繰り返し引き合いに出すこととなったが、大航海時代におけるオセアニアを語るうえで切り離しようのないクックの探検船に同乗していた植物学者ジョゼフ・バンクスが出版した日誌中にも、
‘当地の民はおおらかでかつ見事なまでの大地との共生を実現しているがその土地を自分のものだと主張しない。第一文字を持たない彼らにはその所有権を証明する術がない。よってわたしが発見したこの土地はわがイングランドのものである。’
といった趣旨の記述がある。一見紳士的でかつ見事なまでの論理の飛躍を実現しているが、そのトンデモぶりは現代の尺度でしか測れない種のものだ。社会の情報化が加速する今日にあっても国家の基盤が領土にある事実に変わりはないが、そうしたなかでもたとえば係争地を巡る報道には付き物の‘小舟を駆って岩礁に旗を立てる活動家たち’がほのかに醸す滑稽さなど、どこか通じるものがある。
ちなみに南極ではその領有権を主張する国が8ヶ国に及び、旗を立てるほか赤ん坊を出生させるなど既成事実をつくるため涙ぐましい努力が今も続いているらしい。当人たちは命がけだし大真面目なのだろうが、クマや犬猫のマーキングといったいどこが違うのか。
画像は中部インド洋上にて。太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子。この世界周航も終盤に差し掛かった。
―1524年吉月吉日 筆
月や太陽とは異なって、‘大航海時代Online’の星空は地球の自転から無縁でいてくれるので、夜明けまである程度はじっくりと鑑賞するゆとりがある。パソコン環境の変化でグラフィック精度が上がって増えた楽しみの一つがこれで、天の河などなかなか綺麗に再現されていると思う。
それで今回の拡張パックはタイトルからして‘Cruz del Sur(南十字星)’なくらいだし、見える星空も南半球のそれに一新されているのだろうと期待して、手元の星図片手にしばらく南十字星を探してみたけれど、通過した季節が悪かったのか海域が違ったのか、あるいは単に見逃しただけなのか、ともかく残念なことに見つけることはできなかった。ただよくよく考えてみればオセアニアで見えるそれは南米やケープ一帯でも見られるはずなのだから、なにも今回に限って勢い勇むような話じゃもともとない。というわけでやや乱暴に話を戻す。
■ソロモンとビスマルク
タスマニア島の新港ホバートを出て一路北上、メラネシアを目指す。オセアニア大陸の東岸沖を進み、最北端のヨーク岬を離れて洋上に帆を張ること数日、最初に見えてきたのはニューギニア島東南端の陸影だった。このことからオセアニア大陸は南方へ引き離されたのみでなく、やや東寄りにずらされたことが確認できる。南大西洋やインド洋に比べて太平洋が広すぎるため、若干の調整を付す意図があったのかもしれない。ただの深読みである。
世界周航シナリオではマゼラン海峡から先における長距離航海の困難が盛んに強調されたが何のことはない、それによりメルカトール式世界の間伸びがやんわりと隠蔽されていたことにいまさら気づく。
ニューギニア島の南岸沿いを西端へ。しばらくすると記憶にある香料諸島の島々が前方に姿を現した。転舵して香料諸島を左目にニューギニア島北岸沖へとまわり、東へ。かつてはこの岸沿いを航行する途上いきなり行く手を阻んだ不可視の壁‘世界の果て’も今はなく、すんなりとビスマルク諸島が視野に入り込む。新港や上陸地点の不在を丹念に確認しながらさらに東航、ソロモン諸島域へと突入する。ここで視認範囲にある島々を逐一確認しようとするも、あろうことか隣接する小島同士をぶった切って突如‘世界の果て’が降臨した。運営サイドの問答無用なこういうセンス、嫌いではない。
言わずもがなだがビスマルクの名はかの鉄血宰相、ソロモンの名は旧約聖書中の王に由来する。一番驚いているのは名が使われた本人たちだろうが、大して縁もゆかりもなく西欧における第一“発見”者ですらない両人物の名に、現地の人々はいったいどういう心象を抱くものなのか、ふと気になった。
■赤道と渦と洗面器
しかたがないので‘世界の果て’に沿って北上を始める。ここで赤道を通過したことになる。久々に北半球へと帰ってきた。
南方へゆく飛行機に乗ると、赤道を越えた時点で機内の手洗いを流れる渦の向きが逆転する、という話を幼少時に聞いたことがある。いま思えばこの話は大いに眉唾で、渦の方向など洗面器の構造であらかた決まるはずだし、そうでなければ地球の自転以前に設置場所や機体の揺れ傾きで容易に変わってしまうだろう。だが掌のうちに収まるようなミクロの事象が地球大のスケールで生起する現象とじかに響きあうこの類の話は昔から大好きで、というかそうした嗜好が幼い頃すでに備わっていたことをいま知った。死ぬかボケるまで付き合うことになりそうだ。
ソロモン諸島から北進して数日、視界の両端に3つずつ島が現れた。うち右側の島々は視認できるが到達できない位置にあり、うち1つはやけに大きい。世界地図で確認してもこのあたりにはないサイズだから、そこにはのちのち港か上陸地点の実装が懸案されているのかもしれない。とすれば大航海時代にも知られ巨岩遺跡のあるポンペイ島の可能性が高いだろう。ちなみにポンペイの名は現地語に由来しローマの史跡に機縁せず。
ここで再度西方へと転舵。東カロリン海盆から西カロリン海盆まで、3島ずつセットになった島嶼群の点在を確認。それぞれ多くの島を抱えるトラック諸島からパラオ諸島へと抜けたことになるから、そうした小島の群れをデフォルメするには3島ずつとするのが適当とされたらしい。
このあとはマニラで史実上の提督レガスピとの会話を経て、ボルネオ島の森林で迷子になったり、香料諸島域で対人海賊の艦隊に追いかけられたり、ディリ沖で商人プレイヤーを助太刀してイベント戦闘をこなしたりと色々あって、続く周航ルートに従い西進開始。ジャカルタからスマトラ島南方沖へと抜け、次の寄港地モザンビークを目指して真西への直線航路を20日ほど進んだ頃、予定通り遥か前方にチャゴス諸島を臨む。予定外だったのは夜間にも関わらず島の1つに明かりが灯っていたことで、偶然にもプライベートファームの候補となる島を発見してしまう。さっそく‘領有’してみることに。
■島と星に旗を立てようの会
港に関してはゲーム内で反映されてもいるが、ある土地を‘領有’あるいは‘占拠’した証として古来から最初に為される行為の一つが、そこに‘自勢力の旗を立てる’という示威活動だ。大航海時代に西欧列強はこぞって大洋の島々に自国の旗を立てて周ったし、後代には南極にもそして月面にすら人は国旗を立ててきた。南極や月面に至ってはそもそもそこが誰かの所有物とされる根拠は何かという議論もお構いなしだが実のところそのあたり、そこに原住民がいようと関知せずの大航海時代からどこも進化していない。
予定外に繰り返し引き合いに出すこととなったが、大航海時代におけるオセアニアを語るうえで切り離しようのないクックの探検船に同乗していた植物学者ジョゼフ・バンクスが出版した日誌中にも、
‘当地の民はおおらかでかつ見事なまでの大地との共生を実現しているがその土地を自分のものだと主張しない。第一文字を持たない彼らにはその所有権を証明する術がない。よってわたしが発見したこの土地はわがイングランドのものである。’
といった趣旨の記述がある。一見紳士的でかつ見事なまでの論理の飛躍を実現しているが、そのトンデモぶりは現代の尺度でしか測れない種のものだ。社会の情報化が加速する今日にあっても国家の基盤が領土にある事実に変わりはないが、そうしたなかでもたとえば係争地を巡る報道には付き物の‘小舟を駆って岩礁に旗を立てる活動家たち’がほのかに醸す滑稽さなど、どこか通じるものがある。
ちなみに南極ではその領有権を主張する国が8ヶ国に及び、旗を立てるほか赤ん坊を出生させるなど既成事実をつくるため涙ぐましい努力が今も続いているらしい。当人たちは命がけだし大真面目なのだろうが、クマや犬猫のマーキングといったいどこが違うのか。
画像は中部インド洋上にて。太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子。この世界周航も終盤に差し掛かった。
―1524年吉月吉日 筆
コメント
単語検索で飛んでくるのってある程度はアクセス表示を見れるのだけど、この数日は「モード7」とか「イモムシ」とか、DOL関連ではやはりCruz系のネタが増えてますね。あと意外に多いのが「東カロリン海盆」。レアハント関連で何か出てそうだなぁとこんなところから予測できたり。(笑) ぜひまたご訪問ください〜^^
記事末尾の「太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子。」の箇所、誤りでした。詳しくは下記記事にて↓
http://diarynote.jp/d/75061/20071031.html
白夜の見られる海域がありました。