【世界独航記ノ貮】
新港ワンガヌイにてIN。正規の世界周航ルートに従えば、次の寄港地はマニラとなる。航路はここで大きく北西へと角度を変えるわけだが、自船はこのルートを一旦外れることにする。マゼラン海峡以降の真西への針路をさらに継続、目指すは未知の大陸オセアニアの陸影ただ一つ。
■マオリのひとびと
ところで昨夜はこの港の実装初日に起きた大投資戦の渦中にいたため気にもとまらなかったが、よくみるとワンガヌイで交易品や料理を扱う人々はみな現地先住民の格好をしていた。つまり交易所の店主も道具屋の主人もみなマオリの民ということになるが、彼らの物を商うセリフからして早くも貨幣経済が深く根づいてしまっているらしきあたりなど、何だか微笑ましくもありまた若干の痛々しさも感じてしまう。
そもそも本来ならば投資がどうのという前に、マオリを含むポリネシア一帯の文化圏において貨幣交換とはあくまで祭儀的象徴的な営為であり、日常的な水準では物々交換が基盤の社会であったように思う。大航海時代の航海者が多くの海でそうしたように、原住民から物資食糧をもらう代わりに積み荷や所持品のうちより対価を渡す、というようなシステムがあってもきっと楽しいだろうと思う。所持枠が大変なことになってきそうだけれど。
にしてもこの土地で目にする料理のレパートリーは強烈だった。料理人が見せるレシピ名だけ並べてみても、芋虫焼きの作り方、ワニ肉串焼きの作り方、カンガルー肉の煮込みなどいずれもプリミティヴなムード満載で、まさかイモムシが交易品の一つとして登場するとは予想の遥か上空を行かれた感が濃い。
そのくせ木槍などは欧州で手に入るものとまったく同じなのだけど、実際には地球の反対側の先住民が作った武器や民芸品の類はこの時代、欧州に持ち帰ると手持ちサイズのものでも好事家の貴族に売れば家が一軒建ったとか建たないとか。とはいってもこういうことでこのゲームにケチを付けたい心地にはならず、プレイするうちにこうしてあれこれ想い巡らせてしまうことそのものが面白い。
■珊瑚海とキャプテン・クック
さてワンガヌイを出航しニュージランドの南北両島を一周したあとは、見渡すかぎり何もない海原を真西へと針路を採った。一週間ほど一直線に船を進めると、正面に大きく横たわる未知の大陸がゆっくりと姿を現した。ここで岸に沿って舳先を北方向へと転舵する。しばらくすると海域表示がタスマン海からコーラル海へと切り替わった。
コーラル海(Coral Sea=珊瑚海)の名が示すごとく、オセアニア大陸の北東岸には果てしなく広大な珊瑚礁群が連なり航海の難所となっている。大堡礁、いわゆるグレートバリアリーフがそれである。
世界周航にかかわる大航海時代の著名な航海者としては、最初に志したフェルディナンド・マゼランや二番目に達成したフランシス・ドレークと並び、ジェームズ・クックの名を挙げる声も多いだろう。クックは18世紀のひとだからマゼラン、ドレークとは生きた時代を2世紀ほど異にするが、史実でこのコーラル海を抜けオーストラリアの東海岸に到達した最初の欧州人は彼である。
つまり言い換えるならクックまでの200年間、グレートバリアリーフの存在がこの到達を阻んできたとも言えるだろう。クックの功績の裏には、座礁によって船を損傷させつつも敢えて挑む積極姿勢があった。航海の安全を期すならそれは避けるべき蛮勇であったろうし、船員にはそうした危険を望まぬ者も多かったろう。何より船を失えば、生きながらえたとしてものちのち提督としての職責を厳しく糾弾されることになる。
それに比べると、ゲーム内でのこの海域は平穏なこと極まりない。わたしが通過した限りでは、沖合で座礁することも皆無であった。これはこれで寂しい気がしなくもない。
■カカドゥの奇跡
自船はその後オーストラリア北岸のカカドゥを発見。画像はこの土地で出会ったヴィディア姫と撮ったもの。新港到達を祝いて奇跡の水上踊りの図。航海者養成学校にて支給されたマジカル服の効果である。
マングローブの樹と蓮の花が特徴的なこのエリアは、現代では世界自然遺産にも指定されている名勝地。40万年前から人が生活した形跡があり、この地にみられるアボリジニによる壁画には制作年代を紀元前5000年に遡るものもあるという。たかだかここ2、300年のヨーロピアンによる到達やら領有やらが果たしてどれほど重要なことなのか、こうしたスケールの前では霞んでみえるとしてもあながち憶見とは言えないだろう。
ヴィディア姫はここで入浴などして本来の周航ルートへと北上していったが、自船はここからさらに南西へと沿岸探索を進めていくことにする。東洋の古僧はかつてこう書き遺したという。「この途をいけばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば途は無し。踏み出せばその一足が途となり、つぎの一足が途となる。迷わずいけよ、いけばわかるさいちにさん」
あごの出た格闘家の言葉とする説もある。いずれも俗説の域を出ない。
―1523年良月良日 筆
新港ワンガヌイにてIN。正規の世界周航ルートに従えば、次の寄港地はマニラとなる。航路はここで大きく北西へと角度を変えるわけだが、自船はこのルートを一旦外れることにする。マゼラン海峡以降の真西への針路をさらに継続、目指すは未知の大陸オセアニアの陸影ただ一つ。
■マオリのひとびと
ところで昨夜はこの港の実装初日に起きた大投資戦の渦中にいたため気にもとまらなかったが、よくみるとワンガヌイで交易品や料理を扱う人々はみな現地先住民の格好をしていた。つまり交易所の店主も道具屋の主人もみなマオリの民ということになるが、彼らの物を商うセリフからして早くも貨幣経済が深く根づいてしまっているらしきあたりなど、何だか微笑ましくもありまた若干の痛々しさも感じてしまう。
そもそも本来ならば投資がどうのという前に、マオリを含むポリネシア一帯の文化圏において貨幣交換とはあくまで祭儀的象徴的な営為であり、日常的な水準では物々交換が基盤の社会であったように思う。大航海時代の航海者が多くの海でそうしたように、原住民から物資食糧をもらう代わりに積み荷や所持品のうちより対価を渡す、というようなシステムがあってもきっと楽しいだろうと思う。所持枠が大変なことになってきそうだけれど。
にしてもこの土地で目にする料理のレパートリーは強烈だった。料理人が見せるレシピ名だけ並べてみても、芋虫焼きの作り方、ワニ肉串焼きの作り方、カンガルー肉の煮込みなどいずれもプリミティヴなムード満載で、まさかイモムシが交易品の一つとして登場するとは予想の遥か上空を行かれた感が濃い。
そのくせ木槍などは欧州で手に入るものとまったく同じなのだけど、実際には地球の反対側の先住民が作った武器や民芸品の類はこの時代、欧州に持ち帰ると手持ちサイズのものでも好事家の貴族に売れば家が一軒建ったとか建たないとか。とはいってもこういうことでこのゲームにケチを付けたい心地にはならず、プレイするうちにこうしてあれこれ想い巡らせてしまうことそのものが面白い。
■珊瑚海とキャプテン・クック
さてワンガヌイを出航しニュージランドの南北両島を一周したあとは、見渡すかぎり何もない海原を真西へと針路を採った。一週間ほど一直線に船を進めると、正面に大きく横たわる未知の大陸がゆっくりと姿を現した。ここで岸に沿って舳先を北方向へと転舵する。しばらくすると海域表示がタスマン海からコーラル海へと切り替わった。
コーラル海(Coral Sea=珊瑚海)の名が示すごとく、オセアニア大陸の北東岸には果てしなく広大な珊瑚礁群が連なり航海の難所となっている。大堡礁、いわゆるグレートバリアリーフがそれである。
世界周航にかかわる大航海時代の著名な航海者としては、最初に志したフェルディナンド・マゼランや二番目に達成したフランシス・ドレークと並び、ジェームズ・クックの名を挙げる声も多いだろう。クックは18世紀のひとだからマゼラン、ドレークとは生きた時代を2世紀ほど異にするが、史実でこのコーラル海を抜けオーストラリアの東海岸に到達した最初の欧州人は彼である。
つまり言い換えるならクックまでの200年間、グレートバリアリーフの存在がこの到達を阻んできたとも言えるだろう。クックの功績の裏には、座礁によって船を損傷させつつも敢えて挑む積極姿勢があった。航海の安全を期すならそれは避けるべき蛮勇であったろうし、船員にはそうした危険を望まぬ者も多かったろう。何より船を失えば、生きながらえたとしてものちのち提督としての職責を厳しく糾弾されることになる。
それに比べると、ゲーム内でのこの海域は平穏なこと極まりない。わたしが通過した限りでは、沖合で座礁することも皆無であった。これはこれで寂しい気がしなくもない。
■カカドゥの奇跡
自船はその後オーストラリア北岸のカカドゥを発見。画像はこの土地で出会ったヴィディア姫と撮ったもの。新港到達を祝いて奇跡の水上踊りの図。航海者養成学校にて支給されたマジカル服の効果である。
マングローブの樹と蓮の花が特徴的なこのエリアは、現代では世界自然遺産にも指定されている名勝地。40万年前から人が生活した形跡があり、この地にみられるアボリジニによる壁画には制作年代を紀元前5000年に遡るものもあるという。たかだかここ2、300年のヨーロピアンによる到達やら領有やらが果たしてどれほど重要なことなのか、こうしたスケールの前では霞んでみえるとしてもあながち憶見とは言えないだろう。
ヴィディア姫はここで入浴などして本来の周航ルートへと北上していったが、自船はここからさらに南西へと沿岸探索を進めていくことにする。東洋の古僧はかつてこう書き遺したという。「この途をいけばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば途は無し。踏み出せばその一足が途となり、つぎの一足が途となる。迷わずいけよ、いけばわかるさいちにさん」
あごの出た格闘家の言葉とする説もある。いずれも俗説の域を出ない。
―1523年良月良日 筆
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